赤塚自得(読み)あかつかじとく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤塚自得」の意味・わかりやすい解説

赤塚自得
あかつかじとく
(1871―1936)

漆芸(しつげい)家。本名平左衛門。東京の漆工家に生まれ、父から蒔絵(まきえ)を習得、日本画を狩野久信(かのうひさのぶ)、寺崎広業(こうぎょう)に就いて修業するとともに、油絵を白馬会研究所で学ぶ。彼の作品には精巧な手法で華麗な表現をしているところに特色がみられる。伝統的技法を踏襲しながらも、西洋画の描法を取り入れて写生的に表した作品も多い。1927年(昭和2)第8回帝国美術院展覧会から新たに第四部に工芸が設置され、漆工の審査委員として活躍。1930年帝国美術院会員。

[郷家忠臣]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤塚自得」の解説

赤塚自得 あかつか-じとく

1871-1936 明治-昭和時代前期の漆芸家。
明治4年3月生まれ。6代赤塚平左衛門の子。蒔絵(まきえ)を父に,絵を狩野久信にまなぶ。明治40年東京勧業博覧会,昭和2年帝国美術院展覧会の審査員となり,5年同院会員。昭和11年2月1日死去。66歳。東京出身。通称は平左衛門(7代)。

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世界大百科事典(旧版)内の赤塚自得の言及

【明治・大正時代美術】より

…したがって個性の表現は,西洋の斬新な様式の受容にほとんど置きかえられていたのであって,作家自身の自律的な個性の表現は,第2次大戦後の工芸家たちまで課題として残されたといえよう。 なお,大正期に大家として世評の高かった工芸家には,陶磁の板谷波山(いたやはざん)や鋳金の香取秀真(ほつま),漆工の赤塚自得(あかづかじとく)(1871‐1936)らがいた。
[民芸の発見]
 帝展系の若い工芸家たちが,モダンな都会生活に適応しようとしたのとは反対に,同じころ,明治の工芸振興策が置きざりにしてきた民衆の日常雑器のなかにこそ美がある,と主張する民芸運動が興っている。…

※「赤塚自得」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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