赤沢銅山(読み)あかさわどうざん

世界大百科事典(旧版)内の赤沢銅山の言及

【茨城[県]】より

…1890年代に常磐線(当時は日本鉄道海岸線)が全通して以来,京浜市場への近さから石炭鉱業は活発化し,エネルギー革命による廃山に至るまで約70年間,県北地方の経済に及ぼした影響は大きかった。また近世初期に開坑された赤沢銅山は江戸時代には十分な成果をあげず,1905年日立鉱山と改称してから発展した。大規模な精錬所が設置されたことが口火となって,1910年代には電気機械工業が発足し,20年日立製作所として独立した。…

【日立鉱山】より

…鉱石鉱物は黄銅鉱,セン亜鉛鉱,黄鉄鉱,磁硫鉄鉱であるが,平均的な銅品位は比較的低く1.5%程度であり,硫黄品位は20%程度であった。【山口 梅太郎】
[沿革]
 古くは赤沢銅山と称され,日本の四大銅山の一つであった。1591年(天正19)に発見され,常陸領主佐竹義重が開発したと伝えられるが,水戸藩政下,明治前・中期を通じてなん度か稼行されながらも,悪水問題(鉱毒水による田畑の汚染)などのために発展をみることがなかった。…

※「赤沢銅山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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