起倒流(読み)キトウリュウ

デジタル大辞泉 「起倒流」の意味・読み・例文・類語

きとう‐りゅう〔キタウリウ〕【起倒流】

柔術の一流派。寛永年間(1624~1644)茨木又左衛門俊房の創始

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精選版 日本国語大辞典 「起倒流」の意味・読み・例文・類語

きとう‐りゅう キタウリウ【起倒流】

〘名〙 柔道の流派の一つ。はじめ京極高国、後に松平直政に仕えた、寺田勘右衛門正重慶安から延宝一六四八‐八一)頃に創始。茨木専斎を祖とするとも。
※雑俳・柳多留‐三五(1806)「きとう流でもまいらぬは新造の手」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「起倒流」の意味・わかりやすい解説

起倒流
きとうりゅう

近世柔術の一流派。流祖は茨木又左衛門俊房(いばらきまたざえもんとしふさ)、専斎(せんさい)または宗然(そうぜん)と号した。俊房は摂津の茨木(大阪府茨木市)の人で、初め福野七郎右衛門について良移心当(りょういしんとう)流和(やわら)を、ついで柳生宗矩(やぎゅうむねのり)・三厳(みつよし)父子に新陰(しんかげ)流を学び、また僧沢庵(たくあん)に師事して禅理を修め、1637年(寛永14)9月、組討(くみうち)の取形をくふうして、躰(たい)・躰車(たいしゃ)・請(うけ)・左右(さゆう)・前後(ぜんご)の表五つと、行連(ゆきつれ)・行違(ゆきたがい)・行当(ゆきあたり)・身砕(みくだき)・谷辷(たにおとし)の奥五つ、それに外物(とのもの)十五の所作(しょさ)をもって一流をたて、老師の命名によって、起倒流乱(みだれ)と称し、目録、得心(とくしん)目録に加えて、老師から授与された『五行配分書(ごぎょうはいぶんしょ)』(別名、『理気差別論』)を根本伝書とした。早世したとみられる専斎の門人としては、柳生同門の肥前小城(おぎ)藩主鍋島紀伊守(なべしまきいのかみ)元茂(もとしげ)・同飛騨守(ひだのかみ)直能(ただよし)父子や讃州(さんしゅう)丸亀(まるがめ)藩の平田与一右衛門、佐賀藩の大塚勝右衛門らの名がわずかに知られている。直系は専斎の三男三安昌軒から3代山田看安宗俊へと伝えられたが、その後はあまり振るわなかったらしい。

 これに対して松江藩に仕えた寺田勘右衛門正重は、京都の叔父八左衛門頼重に起倒流乱を学び、自らくふうした無拍子の理をもって取形を改編して表十四形、裏七形とし、「起倒流兵法鎧(よろい)組討」と称した。これを受けて作州津山藩の吉村兵助扶寿(すけなが)は1671年(寛文11)正重の本体、性鏡の2巻に、天・地・人の3巻を加えて教習体系を確立し、後日発展の基礎をつくった。さらに兵助の門人で、播州(ばんしゅう)赤穂(あこう)藩に仕えた平野半平頼建(はんぺいよりたけ)(1656―1724)が、主家断絶後、大坂に出て道場を開き、堀田佐五右衛門頼庸(よりつね)と改名し、「起倒流柔道雌雄妙術(じゅうどうしゆうみょうじゅつ)」と称して弘布(こうふ)に努めた。この堀田の門から、京都の寺田市右衛門正浄・正栄父子、1744年(延享1)江戸に進出した滝野遊軒貞高(ゆうけんさだたか)(1695―1762)らが出て、大いに流名をあげた。彼の門人は5700余人に上ったという。

 この滝野の門から幕臣鈴木清兵衛邦教(せいべえくにたか)が出て、神武(しんぶ)の道をあわせ説き、老中松平定信(さだのぶ)をはじめ諸侯士人の共鳴を得、門弟3000といわれた。同じく滝野門の竹中鉄之助の門流から、講道館柔道の創始者嘉納(かのう)治五郎の師事した飯久保恒年(いいくぼつねとし)が出ている。起倒流は当身技より投げ技を重視し、「専ら形を離れて気を扱う」、すなわち心を練ることに重点を置いた。嘉納が講道館を創始するにあたり、起倒流表裏二十一の形をもって「古式の形」として保存することとしたのも、ゆえなしとしない。

[渡邉一郎]

『老松信一「起倒流柔術について」(『順天堂大学体育学部紀要』6号所収・1963)』『渡邉一郎著『武道の名著』(1979・東京コピイ出版)』『『日本武道大系 第6巻』(1982・同朋舎出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「起倒流」の意味・わかりやすい解説

起倒流 (きとうりゅう)

柔術の一流派。江戸初期の寺田勘右衛門正重が流祖。流派の起りは徳川家綱の時代といわれており,正重は寺田平左衛門定安に師事して福野流柔術を学び,ついに一流を立てて起倒流と称した。その教義はもっぱら形(かた)を離れて気を扱うことに重点がおかれている。江戸時代,楊心流とともにもっとも隆盛し,全国に名をはせた。嘉納治五郎が起倒流を飯久保恒年に学び,その投げ技の卓抜さに感銘し,講道館柔道の投げ技の基礎とした。現在も起倒流の技を,講道館〈古式の形〉として残している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「起倒流」の意味・わかりやすい解説

起倒流
きとうりゅう

柔術の流派の一つ。徳川家光の頃 (1623~51) ,茨木専斎俊房を流祖として起り,起倒流鎧組討 (よろいくみうち) から起倒流柔術に,さらに起倒流柔道とも称された。門弟中,吉村兵助は起倒流の内容を充実させ,また滝野遊軒は享保 20 (1735) 年江戸浅草三筋町に道場を開き,広く普及に努めた。嘉納治五郎は初めこの流派を飯久保恒年に学んだ。起倒流は講道館柔道のうち特に投技に大きな影響を与えた。嘉納はこの流派の表 14本,裏7本から成る鎧組討の形を,柔術の形のなかで最も講道館柔道の精神と技術を表わすものとして,講道館古式の形の名称で今日に残している。

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