精選版 日本国語大辞典 「超越」の意味・読み・例文・類語
ちょう‐えつ テウヱツ【超越】
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もろもろの類genusを超え出るものを意味する,中世スコラ哲学・神学の重要な概念。ふつう〈一unum〉〈真verum〉〈善bonum〉などが〈超越(するもの)transcendens,transcendentia〉と呼ばれ,〈ものres〉〈或(あ)るものaliquid〉〈美pulchrum〉などが加えられることもある。超越理論の歴史は〈在るもの〉と〈一〉とをめぐるアリストテレスの形而上学的思索にまでさかのぼり,新プラトン主義哲学,およびその影響を受けたキリスト教およびイスラムの思想家たちによって発展させられたが,その体系的解明は13世紀において,とりわけトマス・アクイナスによって成就された。トマスによると,超越あるいは〈超越的名称nomina transcendentia〉とは,すべての〈在るものens〉にともなう特性もしくはそのあり方をさす。それら特性は〈在るもの〉という言葉が用いられるときにはつねに含意されているが,〈在るもの〉と言っただけでは明示的に言いあらわされてはいない。そこで,すべての〈在るもの〉が,まさに〈在るもの〉としてふくむ特性を明確に示し,〈在るもの〉の豊かさ,完全性を明らかにすることが超越理論の課題である。〈一〉〈真〉〈善〉〈美〉などの超越的特性は,第一原因あるいは存在そのものである神からすべての〈在るもの〉へと,いわば流入する完全性とみなされるところから,それらは始原である神を名付けるのにもっともふさわしい名称とされ,トマスにおいては超越理論は神名論として展開された。
現代カトリック神学においては,すべての経験の成立根拠である根源的経験を超越的経験としてとらえ,この立場からスコラ的超越理論を再解釈し,活性化しようとする試みが見られる。またプロテスタント神学においても,中世的な形而上学的超越,近代的な主体的ないし実存的超越に対して,現代においては歴史への強い関心にともなって,終末論的超越の観点から,キリスト教的な人間および神理解を推進しなければならないとする立場が見いだされる。
執筆者:稲垣 良典
近・現代の哲学における超越概念はきわめて多義的であるが,ほぼ次の四つに整理しうる。
(1)認識論的超越概念 近代の認識論においては主観の意識に内在する表象・観念に対して,意識を超えてその外にある対象が〈超越的〉とよばれる。内在的観念がいかにしてその超越的対象に適合しうるかが認識論の中心問題だったのである。したがって,ここでは超越とは主観-客観の認識関係にほかならない。カントが対象の認識を成立せしめるア・プリオリな認識を〈超越論的transzendental〉とよんだのは,それが主観-客観の超越関係を可能にするものだからである。
(2)神学的超越概念 神学においては,有限な偶然的存在を超え出た必然的存在者つまり神を〈超越者〉とよぶ。そこから転じて,信仰によって世俗的生活を脱却し超越者に直面せんとすることや,さらにはヤスパースやサルトルの実存主義においてのように,人間がおのれの無自覚な惰性的存在を脱して,決断と選択の絶対的自由をもつ主体的実存へ飛躍することが〈超越〉とよばれるようになった。しかし,超越の上記の二つの意味はしばしば混同され,またもつれ合ってきた。たとえばカントにあっても,主観の〈外〉にあり,その意味で主観を超越しているものといわれるとき,単なる認識の対象が考えられていることもあれば,人間認識には近づきえない〈物自体〉が考えられていることもあり,むしろそのもつれ合いが彼の哲学的思索の原動力となったとさえ考えられるくらいである。
(3)現象学的超越概念 現象学の創唱者フッサールもある時期から,言葉だけはカントに学んで〈超越論的〉という概念を使う。この場合は,客観的世界の存在を無条件に想定する自然的態度を中断し,おのれ自身の意識体験をもはや世界の内部で(たとえば物理的刺激によってひき起こされるような事実的できごととして)見ることをやめ,すべての存在者がそこに現れ,その現れ方によってはじめてその存在意味を確立されることになるような根源的場面として,つまりもはや世界内部の経験的事実ではないという意味で〈純粋〉な意識として見る立場・態度が超越論的とよばれるのである。したがってここでは,おのれが世界のうちに生きていると信ずる自然的態度に対して,それを超え出た態度が超越論的態度なのである。
(4)存在論的超越概念 ハイデッガーにあっては,人間存在の存在構造がそのまま〈超越〉とよばれる。彼の考えでは,人間は他の動物のようにそのつど出会う対象にかかりきりになるのではなく,それらからいわば身を引きはなして,すべてのものをまず〈在るもの〉として,〈存在者〉として見ることができる。〈存在者を存在者として(それが存在するという点に関して)〉見ることができるところに人間の人間たるゆえんがあるのである。そのようにそのつど出会う個々の対象を超え出て,すべての存在者が現れ出てくる場面(世界)を開いている人間のその在り方を,彼は超越とよぶのである。個々の存在者を世界へ向かって超越しているその在り方を,ハイデッガーは〈世界内存在〉ともよんでいる。
執筆者:木田 元
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
超越とは、ある領域を超え出ること、または超え出ていることで、当の領域内にとどまる「内在」に対立する。また超え出た先の領域に存在するものも、超越もしくは超越者とよばれるが、その内容は超え出られる領域がどのような領域であるかによって種々異なる。
キリスト教では、神は世界から超越した超越神であって、世界の外にあって無から世界を創造し、それを維持していく超越因と考えられる(これに反してスピノザなどの汎神(はんしん)論では、神は世界のなかにあって世界を規制する内在因である)。さらにキリスト教では、信仰の領域は人間の知力の及ぶ合理的認識の領域を超えるものとされ、そこから、たとえばグノーシス派は、超越的な神を認識するのに、合理的知識とは異なる神秘的な知識、すなわちグノーシスの必要を説いた。
また、超え出られる領域が感覚を通じて現れる現象界である場合は、感覚によってはとらえられず、ただ理性によってのみ知られる世界が超越界であって、たとえばプラトンのイデア界がそれにあたる。
近世に入ると、人間の意識を基準として意識内の内在と意識外の超越とが区別されるが、その際意識の外に超越するものを認めないですべてを意識内の表象に還元するのが内在主義で、その極端な形式が唯我(ゆいが)論的な観念論である。他方、意識外の超越を認めて意識からの対象の独立を説くのが、素朴実在論に始まる各種の実在論で、唯物論もこの系列に属する。
[宇都宮芳明]
字通「超」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… だがカトリシズムの〈カトリック性〉は思想内容を指示する言葉として理解することも可能である。それは,日常的経験,科学的探求,神秘的観想,神的啓示など,いかなる経路,方法を通じて到達されたものであろうと,およそすべての真理にたいしてみずからを根元的に開こうとする態度を核心とするところの思想であり,一言でいえば〈超越〉の思想である。〈神の死〉を自明の前提とする〈内在主義〉――唯物論,観念論,進化論,自然主義の諸形態をふくめて――が人間を最高の存在へたかめるのにたいして,カトリシズムは人間が〈創られたもの〉〈神のかたどり〉であることの自覚から出発し,そこに人間の卑小と偉大,悲惨と栄光を読みとる。…
※「超越」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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