越智彦四郎(読み)おち・ひこしろう

朝日日本歴史人物事典 「越智彦四郎」の解説

越智彦四郎

没年:明治10.5.1(1877)
生年嘉永2.10.12(1849.11.26)
幕末の福岡藩士。若くして藩校修猷館に学ぶ。戊辰戦争では藩軍に属し東北地方に転戦して軍功をあげた。明治7(1874)年,佐賀の乱に際し内務卿大久保利通に面会して居中調停を申し出たがかえって鎮撫行動を催促され,鎮撫隊を編成し三瀬方面に出張した。乱後,加屋霽堅を熊本に,桐野利秋,村田新八らを鹿児島に訪ね意見を交換,爾後に備えるべく強忍社を組織した。10年,西郷軍が熊本城を攻囲するや武部小四郎ら70名余と西郷呼応軍を編成して福岡城を攻撃したが敗れ,日向の薩軍に合流しようとしたが途次官軍に捕縛され,斬刑に処せられた。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「越智彦四郎」の解説

越智彦四郎 おち-ひこしろう

1849-1877 幕末-明治時代の武士,士族
嘉永(かえい)2年10月12日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。戊辰(ぼしん)戦争で東北を転戦。明治7年佐賀の乱で鎮撫(ちんぶ)隊を組織し小隊長となる。西南戦争では西郷軍に呼応,武部(たけべ)小四郎らと福岡城攻撃の大隊長となる。敗れて政府軍に捕らえられ,明治10年5月1日福岡で斬刑(ざんけい)となった。29歳。旧姓は井上。名は孚加。

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