越智維通(読み)おち・これみち

朝日日本歴史人物事典 「越智維通」の解説

越智維通

没年:永享11.3.27(1439.5.10)
生年:生年不詳
室町時代の武将。大和国人越智氏の出自。永享3(1431)年8月,大和平田荘の段銭未進を理由に衆徒筒井順永が同荘荘官箸尾某を攻撃し,翌年9月,箸尾に与同した維通は筒井城を攻め,竜田社を焼き打ちした。これを契機室町幕府は越智・箸尾討伐軍を起こし,以後数年間大和盆地は戦場となった(大和永享の乱)。同6年8月,維通は本拠越智荘に筒井軍を誘い込み,大打撃を与えている。当時越智軍の構成は甲800,野伏2万と称され,広範な農民層が参加していた。幕府は河内守護畠山持国を派遣してこれを討たせたが,維通らはゲリラ戦で幕府軍を翻弄し,山間部に拠って包囲軍を苦しめた。同9年7月には将軍足利義教の弟大覚寺(足利)義昭や後南朝の小倉宮王子も維通の陣営に投じ,翌年8月に起こった関東の足利持氏の蜂起も維通らと示し合わせたものであった。ここにおいて義教は治罰綸旨を奏請して維通らの籠城する多武峰を攻め,焦土作戦の末,維通を長谷寺で敗死させた。幕府の基礎を揺るがす大反乱の中心人物といえる。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android