足利貞氏(読み)あしかが・さだうじ

朝日日本歴史人物事典 「足利貞氏」の解説

足利貞氏

没年元徳3/元弘1.9.6(1331.10.8)
生年:文永10(1273)
鎌倉時代後期の武将。家時の子,尊氏,直義の父。妻は上杉清子。従五位下讃岐守。応長1(1311)年出家して,義観と称し,浄妙寺殿と号す。貞氏関係の文書は「倉持文書」に多い。貞氏が家督を継いだのは13世紀末ごろのこととみられ,貞氏の文書は永仁ごろ(1293~99)以後のものである。没年月日は『常楽記』によるが『尊卑分脈』では5日死去とある。

(伊藤喜良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足利貞氏」の解説

足利貞氏 あしかが-さだうじ

1273-1331 鎌倉時代の武将。
文永10年生まれ。足利家時の子。母は北条時茂の娘。足利尊氏・直義(ただよし)の父。下野(しもつけ)(栃木県)足利城主。応長元年北条貞時の死去の際出家するなど北条氏にちかづき,上総(かずさ)守護となった。法名は義観。浄妙寺殿と号した。元徳3=元弘(げんこう)元年9月5日死去。59歳。

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