世界大百科事典(旧版)内の跡部海翁の言及
【跡部良顕】より
…江戸中期の人。知行2500石の旗本で,名は孫八郎,通称宮内,致仕して海翁と号した。儒学を佐藤直方,三宅尚斎に学び,また神道を渋川春海に学び,闇斎学と垂加神道を継承した。ここに神儒合一を旨とする江戸派闇斎学が成立した。著書に《南山編年録》《神代混沌草》《垂加翁神説》など。【平 重道】…
※「跡部海翁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…江戸中期の人。知行2500石の旗本で,名は孫八郎,通称宮内,致仕して海翁と号した。儒学を佐藤直方,三宅尚斎に学び,また神道を渋川春海に学び,闇斎学と垂加神道を継承した。ここに神儒合一を旨とする江戸派闇斎学が成立した。著書に《南山編年録》《神代混沌草》《垂加翁神説》など。【平 重道】…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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