世界大百科事典(旧版)内の軍事教育令の言及
【学校】より
…其局ニ当ル者,克ク精勤セヨ〉(〈露国と交戦中東京帝国大学に於いて文部大臣久保田譲に賜はりたる御沙汰〉,1904年7月11日)という御沙汰を下したのと大きな違いであった。〈軍事教育令〉が出されたことで学徒出陣,勤労動員,さらに例外とされた国民学校初等科の場合も集団疎開や勤労奉仕により,事実上学校では,その本来の任務である教育が行われなくなっていたのである。この時期,沖縄ではすでに戦闘が終了していた地域があり,住民の収容所のなかで,特別の施設や教材もない混乱状態にもかかわらず,子どもに読み書きを教えようとの試みがあり,これは戦後教育であったが稀有の例であり,日本中の学校は教育活動をほとんど停止した状態で8月15日を迎えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」