軍令部(読み)ぐんれいぶ

精選版 日本国語大辞典 「軍令部」の意味・読み・例文・類語

ぐんれい‐ぶ【軍令部】

〘名〙 旧日本海軍作戦用兵に関する中央統率機関天皇に直属し、軍令部総長長官とする。昭和八年(一九三三海軍軍令部に代わって設置。陸軍の参謀本部にあたる。

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デジタル大辞泉 「軍令部」の意味・読み・例文・類語

ぐんれい‐ぶ【軍令部】

旧日本海軍の中央統帥機関。昭和8年(1933)それまでの海軍軍令部を改称して設置。天皇に直属し、海軍の国防・用兵に関する事項を担当した。

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改訂新版 世界大百科事典 「軍令部」の意味・わかりやすい解説

軍令部 (ぐんれいぶ)

天皇に直隷する海軍軍令の最高統轄機関。1933年10月,それまでの海軍軍令部が軍令部に,海軍軍令部長が軍令部総長と改称され,天皇の統帥大権に関する最高の輔弼(ほひつ)機関として,陸軍の参謀本部参謀総長と形式的にも同格になった。この改正で軍令部は,従来の国防計画,作戦計画,平戦両時における兵力使用などの統帥事項に加えて,兵力量の決定についても,その起案権を持つようになり,強大な権限を保持することになった。海軍軍令機関の前身は,1884年海軍省外局に設置された軍事部にあり,その後,参謀本部海軍部海軍大臣のもとの海軍参謀部をへて,93年に海軍軍令部条例が制定されて,はじめて海軍軍政機関,陸軍軍令機関からまったく独立した海軍軍令機関としての海軍軍令部が設置されることになった。この背景には,日清戦争を前にして,海軍軍備の拡大や軍令事項への議会の関与を排しようとする海軍側の企図があり,その推進者は海軍省官房主事の山本権兵衛であった。しかし同時に制定された戦時大本営条例では,戦時には海軍軍令部長は参謀総長の隷下に入ることになっており,陸軍軍令機関との同格化を求める海軍側の画策はつづく。1933年に軍令部となってからは,参謀本部と並び統帥権独立の中心機関として,戦争遂行に大きな役割を果たしたが,陸海軍の対立は克服できず,太平洋戦争においても陸海軍の作戦は,しばしば円滑な統一を欠いた。敗戦後の45年10月廃止。
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百科事典マイペディア 「軍令部」の意味・わかりやすい解説

軍令部【ぐんれいぶ】

旧日本海軍の最高軍令機関。初めは参謀本部に属し,1889年海軍省管下の海軍参謀部となる。1893年海軍拡張の要請と陸海軍の対立により海軍省から分離して海軍軍令部となり,天皇直隷の機関となった。1933年軍令部と改称,1945年廃止。
→関連項目海軍海軍省桂太郎軍令最高戦争指導会議東郷平八郎統帥権

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「軍令部」の意味・わかりやすい解説

軍令部
ぐんれいぶ

旧日本海軍において国防計画、作戦計画などの軍令事項を管掌した中央機関。旧日本陸軍の参謀本部に相当する。1889年(明治22)制定の海軍参謀部条例においては、軍令機関たる海軍参謀部は海軍大臣の下に置かれていたが、93年5月制定の海軍軍令部条例によって同参謀部は廃止され、これにかわって海軍省と併立する海軍軍令部が設置された。海軍軍令部長には海軍大将もしくは海軍中将が親補され、天皇に直隷する。その後、1933年(昭和8)10月には、海軍軍令部は軍令部に、海軍軍令部長は軍令部総長に改称され、第二次世界大戦の敗北により45年(昭和20)10月廃止となった。

[吉田 裕]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「軍令部」の解説

軍令部
ぐんれいぶ

主として海軍の軍令事項を担当する天皇直属の機関。1893年(明治26)発足。海軍の軍令事項は1884年の海軍省軍事部以来,順次参謀本部海軍部・海軍参謀本部・海軍参謀部の機構で処理されてきた。93年5月20日海軍軍令部が東京の赤坂に発足し,作戦・編制・教育・訓練・情報などを担当。庁舎は94年霞ケ関に移転。陸軍の参謀本部の強大な権限にならって海軍省に対する地位を向上させたいとする願望が,大正末期から海軍軍令部内に潜行し,これは1933年(昭和8)10月1日伏見宮博恭(ひろやす)王が部長のときに軍令部へ改編され実現。改編による軍令部の権限強化の歴史的影響は大きい。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「軍令部」の意味・わかりやすい解説

軍令部
ぐんれいぶ

旧日本海軍の軍令を司った機関。日本海軍では海軍省が海軍の軍政を行なったのに対して,国防計画,作戦など海軍の作戦指揮にあたる軍令は軍令部が司った。 1884年に海軍省軍務局を廃して,外局として軍事部が設けられ,86年に参謀本部海軍部,89年海軍参謀部,93年海軍軍令部を経て 1933年に軍令部となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「軍令部」の解説

軍令部
ぐんれいぶ

明治〜昭和期の旧日本海軍の軍令統轄機関
陸軍の参謀本部にあたる。初め参謀本部ついで海軍省の管下にあった海軍参謀部が,1893年独立して海軍軍令部と改称。軍政機関としての海軍省に対し,天皇に直属して作戦・海防などの任務にあたった。1930年ロンドン海軍軍縮条約に反対し,統帥 (とうすい) 権を干犯するとして政府を攻撃した。'33年軍令部と改称。'45年敗戦とともに廃止された。

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世界大百科事典(旧版)内の軍令部の言及

【海軍】より

…また73年の徴兵制施行に際して,海軍は技術修得に時間がかかることを理由に,徴兵より志願兵制度を重視した。 明治初年においては海軍は陸軍に従属的な位置にあり,陸主海従的な軍備政策が実行されたが,93年海軍独自の軍令機関としての海軍軍令部が設立され,日清戦争に備えて海軍の大規模な軍備拡張がはかられた。初期議会における紛糾の最大の原因は国民生活を圧迫するこの軍備拡張予算にあった。…

【海軍省】より

…1884年海軍省内に軍令専掌機関として軍事部が設けられ,86年にはこれが参謀本部に移され参謀本部海軍部となった。89年同部は海軍参謀部としてふたたび海軍省に復帰し,93年海軍大臣のもとをはなれて海軍軍令部が独立した。旧帝国軍隊の軍制は,ドイツ帝国の軍制にならったことにより,軍政と軍令が分立する二元主義を採用してきたが,海軍においては建軍以来,模範としてきたイギリス海軍にならい,陸軍とは異なって,軍令に対する軍政の優位の伝統が続くことになった。…

※「軍令部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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