辛丑条約(読み)しんちゅうじょうやく(英語表記)Xin-chou; Hsin-ch`ou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辛丑条約」の意味・わかりやすい解説

辛丑条約
しんちゅうじょうやく
Xin-chou; Hsin-ch`ou

1901年9月7日,義和団事変処理のため,中国清朝とイギリス,ドイツ,ロシアアメリカ合衆国,日本など 11ヵ国との間に結ばれた条約北京議定書ともいう。清はドイツ,日本への謝罪使の派遣,排外運動の禁止,関税,塩税を担保とする 4億5000万両の賠償金支払い,北京における公使館区域の設定と外国軍隊常駐,北京周辺の砲台破壊などを認めさせられた。財政的にも列強への従属を余儀なくされ,中国の半植民地化はいっそう深刻化した。

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世界大百科事典(旧版)内の辛丑条約の言及

【義和団】より

…義和団の京・津占領から連合軍の北京占領にいたる戦争を,日本では〈北清事変〉と呼んだ。1901年9月,清朝と11ヵ国(8ヵ国とスペイン,オランダ,ベルギー)との間に最終議定書〈辛丑条約〉が調印された。多額の賠償金のほか,北京・山海関沿線の外国の駐兵権を認め,人民の反帝運動の鎮圧を清朝が義務づけられるなど,中国の半植民地化をいっそう深めるものであった。…

【清】より

…そこへ義和団鎮圧のための8ヵ国連合軍の対華戦争である。1901年(光緒27)に結ばれた辛丑(しんちゆう)条約(北京議定書)では,4億5000万両というとてつもない賠償金のみならず,北京とその周辺への外国軍駐留権まで認められた。借款,賠償の元利支払は1905年には歳出の4割に上ったが,まさに辛丑条約によって中国の半植民地化は完成したのである。…

※「辛丑条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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