農奴解放令[ロシア](読み)のうどかいほうれい[ロシア](英語表記)Obshchee polozhenie o krest'yanakh, vyshedshikh iz krepostnoi zavisimosti; Emancipation Act of 1861

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農奴解放令[ロシア]」の意味・わかりやすい解説

農奴解放令[ロシア]
のうどかいほうれい[ロシア]
Obshchee polozhenie o krest'yanakh, vyshedshikh iz krepostnoi zavisimosti; Emancipation Act of 1861

1861年3月3日 (旧暦2月 19日) ,皇帝アレクサンドル2世によって裁下された農奴解放に関する条令。アレクサンドル2世は,国の近代化,富国強兵への第1歩として農奴解放を急務とし,57年1月に秘密委員会を設置した。 58年初頭に秘密委員会が改組されてできた総委員会も,59年3月につくられた法典編纂委員会も,幾度か計画を後退させ,発布された条令は農民の期待からほど遠いものとなった。解放の実施は,(1) 63年3月3日までの農民と地主との間に約定証文を作成するまでの期間,(2) 約定証文に従って地主に年貢支払いや諸義務を行うとともに,買戻した土地の支払いを終了するまでの「一時的義務負担農民」と呼ばれる時期,(3) それ以後の完全な自由な時期と,3つの時期に分けて行われたが,(2) の時期の終了については特別な定めがなく,農民が政府援助によって買戻しを終えても,今度は国家に多額の負債をかかえ込むこととなった。買戻し義務が実際に取消されたのは 1905年の革命ののちにおいてであった。この解放令によってロシアの 2240万の農奴が法的に自由となったが,農民の諸義務は個人にではなく共同体連帯責任とされたため,村を離れることも共同体の発行する旅券がなければできず,その後の農民の自由な経営もはばまれた。 (→農奴制)  

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