日本大百科全書(ニッポニカ) 「近江蚊帳」の意味・わかりやすい解説
近江蚊帳
おうみかや
近江(滋賀県)の特産である蚊帳。蒲生(がもう)郡八幡(はちまん)および坂田郡長浜を主産地とし、それぞれ八幡蚊帳、長浜蚊帳(浜蚊帳)とよばれた。八幡では早く天正(てんしょう)年間(1573~92)から奈良蚊帳を売買する商人がいたが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)ころになると地元の麻糸を買い集めて蚊帳を織らせ、八幡蚊帳として売り出すようになった。寛永(かんえい)(1624~44)になると越前(えちぜん)(福井県)から大量の麻糸を輸入して生産するに至り、1639年(寛永16)には町内蚊帳屋17軒、1653年(承応2)ころには仲間の「えびす講」で申合せを定めるまでに発展した。また寛文(かんぶん)年間(1661~73)には八幡から長浜に製作技術が伝わり、農家の副業として隆盛に赴いた。八幡蚊帳の盛期は享保(きょうほう)・元文(げんぶん)(1716~41)ころで、仲間も古組・新組・新々組の3組計47名に上った。長浜蚊帳は寛政(かんせい)(1789~1801)ころから彦根藩の国産奨励の対象となり品質も向上して盛況を迎えたが、幕末安政(あんせい)(1854~60)ころには越前の大野・福井など原料産地が直接生産を始め、一時打撃を受けたこともあった。蚊帳問屋は、仕入糸を町内・近郊農家に賃機(ちんばた)に出し、製品の白蚊帳地を蚊帳紺屋(こうや)に出して染めさせ、この蚊帳地を江戸その他各地に送って販売店で蚊帳に仕立てるほか、八幡・長浜で仕立てて製品として売り出すこともあった。明治以後は1904年(明治37)に動力織機(しょっき)の会社が生まれ、原料糸も北海道産・中国産をも用いるようになった。第二次世界大戦後の51年(昭和26)でも年産約30万帳を産した。
[村井益男]