近藤乾三(読み)こんどうけんぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「近藤乾三」の意味・わかりやすい解説

近藤乾三
こんどうけんぞう
(1890―1988)

能の宝生(ほうしょう)流シテ方。東京生まれ。11歳から16世宝生九郎(くろう)の下で修業松本長(ながし)、野口兼資(かねすけ)に次ぐ宝生流重鎮となる。1966年(昭和41)重要無形文化財保持者に認定、1976年日本芸術院会員、1985年文化功労者。堅実で清冽(せいれつ)な芸風で、一方ドラマチックな表現にも秀でる。大病後再起し、90歳を超えて舞台を勤めた最長老。著書に『さるをがせ』『こしかた』『能――わが生涯』などがある。後輩高橋進田中幾之助(いくのすけ)(1903―1983)、松本恵雄(しげお)(1915―2003)、金井章(かないあきら)(1922―2003)ほか。近藤乾之助(けんのすけ)(1928―2015)は長男

増田正造

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改訂新版 世界大百科事典 「近藤乾三」の意味・わかりやすい解説

近藤乾三 (こんどうけんぞう)
生没年:1890-1988(明治23-昭和63)

能楽師。宝生流シテ方。東京生れ。1900年,明治三名人の一人,16世宗家宝生九郎知栄(ともはる)の内弟子となり,身近で親しく教えを受けた。松本長(ながし),野口兼資(かねすけ)に次ぐ高弟で,宝生流の元老である。1959年度日本芸術院賞を受賞。66年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定され,76年日本芸術院会員となる。71年病を得,以後は能を舞っていないが,独吟,一調などで舞台に出演している。芸風は重厚で格調高く,抑揚に富む謡によって能の演劇性を内面から演じ生かす。あらゆる曲柄に安定した芸位を示すが,特に《藤戸》《俊寛》《景清》《綾鼓》《求塚》などの四番目物を得意とした。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤乾三」の解説

近藤乾三 こんどう-けんぞう

1890-1988 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治23年11月3日生まれ。近藤乾之助の父。宝生(ほうしょう)流の16代宝生九郎に師事,松本長(ながし),野口兼資(かねすけ)につぐ高弟となる。重厚堅実な芸風で知られ,晩年は謡(うたい)に独自の境地をひらいた。昭和41年人間国宝,60年文化功労者。芸術院会員。昭和63年10月1日死去。97歳。東京出身。著作に「能―わが生涯」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近藤乾三」の意味・わかりやすい解説

近藤乾三
こんどうけんぞう

[生]1890.11.3. 東京
[没]1988.10.1. 東京
能楽師,宝生流シテ方。宝生流の謡い手であった近藤敦吉の次男。 1899年 16世宝生九郎知栄に入門。松本長,野口兼資に次ぐ高弟。 1906年初シテ『草薙』を舞い,17年『道成寺』を披 (ひら) く。 66年重要無形文化財保持者,76年日本芸術院会員,85年文化功労者。格調高い演劇性に秀で,『藤戸』『求塚』『景清』などの四番目物を得意とした。著書に『さるをがせ』 (1940) ,『こしかた』 (67) ,レコードに『近藤乾三集』 (77) がある。

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百科事典マイペディア 「近藤乾三」の意味・わかりやすい解説

近藤乾三【こんどうけんぞう】

能楽師。宝生流シテ方。16世宝生九郎に師事。重厚で格調高い芸風で知られた。1966年人間国宝。1976年芸術院会員。1985年文化功労者。近藤乾之助〔1928-2015〕はその長男。また1978年に人間国宝になった高橋進〔1902-1984〕はその高弟。

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