近藤廉平(読み)こんどうれんぺい

改訂新版 世界大百科事典 「近藤廉平」の意味・わかりやすい解説

近藤廉平 (こんどうれんぺい)
生没年:1848-1921(嘉永1-大正10)

明治・大正期の海運界の重鎮阿波国麻植郡西尾村生れ。医師玄泉の次男私塾から大学南校へ進む。星合常恕に従って高知に行き,岩崎弥太郎に知られ,1872年(明治5)三菱会社に入った。吉岡鉱山,高島炭鉱の経営改善で名をあげ,83年三菱汽船横浜支店支配人に抜擢ばつてき)され,共同運輸との死闘に活躍した。85年日本郵船が成立すると横浜支店支配人に転じ,東京支店,本社の各支配人,理事を歴任し,95年社長に就任した。日清・日露両戦争の軍隊輸送の功により1911年男爵,さらに貴族院議員となり,かたわら横浜船渠,麒麟麦酒,日清汽船など多くの会社の役員を兼務,19年パリ講和会議には海軍顧問として出席した。日本郵船の外国航路進出,日本を世界有数の海運国に発展させた功績は大きく,日本海運業を代表する人物であった。
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朝日日本歴史人物事典 「近藤廉平」の解説

近藤廉平

没年:大正10.2.9(1921)
生年:嘉永1.11.25(1848.12.20)
明治大正期の実業家。阿波国麻植郡西尾村(徳島県鴨島町)に生まれる。医師近藤玄泉と脇子の次男。妻は豊川良平の妹。大学南校で英語を学ぶ。明治5(1872)年,三菱商会に入る。吉岡銅山,高島炭鉱を経て16年に横浜支社支配人となり,共同運輸との競争に活躍した。18年10月,日本郵船の成立とともに入社,22年理事,26年に専務取締役,27年に副社長,28年11月,吉川泰二郎の病没により第3代社長となる。以後没するまで同社の社長として活躍し,同社を世界最大級の海運企業に成長させた。特に日清戦争後には,政府補助を受けて,ヨーロッパ,アメリカ,オーストラリアの3大遠洋定期航路を開設したほか,中国などの近海航路の充実を図り,日本の海外進出の運輸的基盤を確立した。44年男爵。大正7(1918)年勅選貴族院議員。パリ講和会議全権随員。<参考文献>末広一雄『近藤廉平伝並遺稿』,日本経営史研究所編『日本郵船株式会社百年史』

(小風秀雅)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近藤廉平」の意味・わかりやすい解説

近藤廉平
こんどうれんぺい
(1848―1921)

実業家。阿波(あわ)国(徳島県)の医家に生まれる。一時期大学南校(東京大学の前身)で学んだが、1872年(明治5)三川(みつかわ)商会(三菱(みつびし)の前身)に入社した。吉岡鉱山の買収や経営で実績をあげて岩崎弥太郎(やたろう)に認められ、共同運輸との競争の際には、郵便汽船三菱会社の横浜支店支配人として活躍した。85年に両社が合併して日本郵船が設立されるとともに同社に移り、三菱系幹部として理事、副社長を経て、95年社長に就任し、病没するまで26年間その地位にあった。日清(にっしん)、日露、第一次世界大戦の3戦争の際、輸送に貢献したほか、海外航路の拡大を実現して海運界の覇者と称され、1911年(明治44)男爵を授けられた。

[中村青志]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近藤廉平」の意味・わかりやすい解説

近藤廉平
こんどうれんぺい

[生]嘉永1(1848).11.25. 徳島
[没]1921.2.1. 東京
明治の実業家。医者の家に生まれ,慶應義塾に学ぶ。初めは武士を志したが,明治維新後,岩崎弥太郎に知られて三菱に入り,1878年郵便汽船三菱会社に入社。その後同社と共同運輸会社の合併により設立された日本郵船の横浜支店長となる。 1895年同社の社長に就任し,以後 26年間の在職期間を通じて海外航路の拡張,商船隊の整備拡充に努め,同社を世界屈指の海運会社に成長させた。 1911年男爵となり,1918年貴族院議員に選出される。

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百科事典マイペディア 「近藤廉平」の意味・わかりやすい解説

近藤廉平【こんどうれんぺい】

明治・大正期の実業家。阿波(あわ)徳島藩の医家に生まれ,慶応義塾に学ぶ。岩崎弥太郎に知られて三菱に入り,吉岡鉱山,高島炭鉱,三菱汽船などに勤務。1885年日本郵船会社設立とともに同社に転じ,1895年から没年まで社長を勤め,日本の海運の発展に尽力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤廉平」の解説

近藤廉平 こんどう-れんぺい

1848-1921 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)元年11月25日生まれ。大学南校でまなぶ。岩崎弥太郎にみとめられ,明治5年三川商会(のち三菱商会)にはいる。16年郵便汽船三菱会社の横浜支店支配人となり,28年から後身の日本郵船社長を26年間つとめた。大正10年2月9日死去。74歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。幼名は省三郎。

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