近藤憲二(読み)こんどうけんじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「近藤憲二」の意味・わかりやすい解説

近藤憲二
こんどうけんじ
(1895―1969)

無政府主義者。兵庫県生まれ。1912年(明治45)早稲田(わせだ)大学専門部政経科入学。在学中読んだ大杉栄(さかえ)『生の闘争』に感銘を受け、大杉を訪問。それを機に無政府主義者渡辺政太郎(まさたろう)の主宰する研究会(のち北風会)などに出入りする。早大卒業後、東京毎日新聞社や堺利彦(さかいとしひこ)の売文社で働く。19年(大正8)大杉らの第一次『労働運動』の同人となり、20年には日本社会主義同盟の創立に参加、機関紙『社会主義』の編集にあたった。また大杉の死後『大杉栄全集』全10巻(1926)の編集・刊行に力を尽くした。アナ・ボル対立が激化するとアナキズム陣営にたって争議の応援、講演会などに活躍した。26年には黒色青年連盟結成に参加するが、その後「純正アナキズム」派の暴力的傾向に反対して脱退。また日本労働組合自由協会派を支持した。第二次世界大戦後は46年(昭和21)日本アナキスト連盟を結成、書記長となった。夫人は堺利彦の長女で女性運動家の近藤真柄(まがら)(1903―83)。

[北河賢三]

『近藤憲二著『一無政府主義者の回想』(1965・平凡社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「近藤憲二」の意味・わかりやすい解説

近藤憲二 (こんどうけんじ)
生没年:1895-1969(明治28-昭和44)

大杉栄死後のアナーキズム運動の指導者。兵庫県生れ。早稲田大学専門部政経科在学中,大杉に会いアナーキズム運動に参加。1919年以降大杉らと3次にわたって《労働運動》を刊行し活躍した。大杉虐殺後第4次・第5次《労働運動》を発行しアナーキズム運動を継続。26年黒色青年連盟を結成,同年《大杉栄全集》(全10巻)を刊行した。37年堺真柄(まがら)と結婚。第2次世界大戦後日本アナキスト連盟を結成し書記長に就任著書に《一無政府主義者の回想》などがある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤憲二」の解説

近藤憲二 こんどう-けんじ

1895-1969 大正-昭和時代の社会運動家。
明治28年2月22日生まれ。近藤真柄(まがら)の夫。大杉栄と新聞「労働運動」を発行。大正9年日本社会主義同盟結成の発起人となる。昭和21年石川三四郎らと日本アナキスト連盟を設立。昭和44年8月6日死去。74歳。兵庫県出身。早大卒。著作に「一無政府主義者の回想」など。

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世界大百科事典(旧版)内の近藤憲二の言及

【大杉栄】より

…18年亀戸の労働者街に移住し,野枝と《文明批評》(1~3月)を,和田久太郎,久板卯之助らと《労働新聞》(4~7月)を創刊。第1次大戦後,労働運動が高まっていくなかで,自主自活的労働の促進を目的とする《労働運動》を19年に近藤憲二,和田,久板らと創刊する。また〈演説もらい〉(演説会への殴り込み)を中心に活動を行う。…

※「近藤憲二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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