近衛忠嗣(読み)このえ・ただつぐ

朝日日本歴史人物事典 「近衛忠嗣」の解説

近衛忠嗣

没年:享徳3.6.30(1454.7.25)
生年永徳3/弘和3(1383)
南北朝時代末の公家。父は近衛兼嗣。母は家女房。康応1/元中6(1389)年元服ののち良嗣と称し,応永15(1408)年忠嗣と改める。明徳1/元中7(1390)年従三位となり,左大臣を経て,応永15年関白氏長者。同29年閏10月10日出家するが,その原因は月の初めに「最愛」の妻が他界したことにあった。忠嗣は悲しみのあまり取り乱し,切腹に及ぶ。周囲は驚いて刀を奪い取り,切腹を制止するが,その後すぐ忠嗣は髻を切った。伏見宮貞成,三宝院満済はそれぞれの日記『看聞日記』『満済准后日記』にこの事件を記し,すこぶる狂気か,摂関家では前代未聞の例である,と結んでいる。

(湯川敏治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛忠嗣」の解説

近衛忠嗣 このえ-ただつぐ

1383-1454 室町時代公卿(くぎょう)。
永徳3=弘和(こうわ)3年生まれ。近衛兼嗣(かねつぐ)の子。左大臣をへて,応永15年(1408)関白,氏長者となる。従一位。享徳3年6月26/29日死去。72歳。初名は良嗣(よしつぐ)。号は後普賢寺

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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