道成寺(能)(読み)どうじょうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「道成寺(能)」の意味・わかりやすい解説

道成寺(能)
どうじょうじ

能の曲目。四番目物、または五番目物にも。五流現行曲。観世(かんぜ)小次郎信光(のぶみつ)作。『今昔物語』などを典拠とする。能役者の技術習得卒業認定の曲として、各流、各役ともに重い習いとする大曲。舞台に実物大の鐘が吊(つ)り上げられる。紀州道成寺の僧(ワキ)が新しい鐘の鐘供養を行うことを告げ、寺男(間(あい)狂言)に女人禁制の触れを命じる。白拍子(しらびょうし)(前シテ)が登場し、他の女とは違うと説得して寺に入り、美しく舞う。小鼓とシテの一騎打ちともいうべき、「乱拍子(らんびょうし)」の、極度の沈黙と緊迫の演技は、たちまち一転して激しい「急の舞」となる。女が鐘に手をかけて跳ぶと、鐘後見が瞬時にこれを落とし、女の姿をおおう。危険な離れ技である。地震か雷かと驚く寺男は、鐘の落下を僧に報告する。僧は従僧(ワキツレ)に、真砂(まなご)の荘司(しょうじ)の娘に恋された山伏が、娘から逃れてこの寺の鐘に隠れたが、娘は毒蛇となって鐘に巻き付き、ついには鐘を溶かしてしまったという、その女の執念を物語り、鐘に向かって必死に祈る。引き上げられた鐘から、女は蛇体(後(のち)シテ)となって現れ、祈りの力と激しく争うが、力尽きて日高(ひだか)川に飛び込んで終わる。原作の『鐘巻(かねまき)』は、山形県の黒川能に今日も継承されているが、五流の『道成寺』は戯曲上の不自然さを犯してまで『鐘巻』の内容を切り詰め、そのかわり演出を極限まで先鋭化している。壬生(みぶ)大念仏狂言や山伏神楽(かぐら)などの民俗芸能、浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)、沖縄の組踊から、三島由紀夫の『近代能楽集』に至るまで、大きな影響を与え、道成寺物の系列を生んだ。

増田正造

道成寺物

歌舞伎・浄瑠璃の一系統。おもに歌舞伎舞踊で、能『道成寺』から出発した作品群をいう。劇的で人気のある題材なので、早くから通し狂言の一部として取り入れられた。延宝(えんぽう)(1673~81)年中に2世玉川千之丞(せんのじょう)が演じたのが最古の記録で、元禄(げんろく)期(1688~1704)にも榊山(さかきやま)小四郎、初世水木辰之助(みずきたつのすけ)が得意とし、舞踊劇として完成したのは1731年(享保16)3月江戸・中村座で初世瀬川菊之丞が演じた『無間鐘(むけんのかね)新道成寺』(通称「傾城(けいせい)道成寺」「中山(なかやま)道成寺」)。その後、同じ菊之丞が踊った『百千鳥(ももちどり)娘道成寺』(1744)を経て、初世中村富十郎が1753年(宝暦3)3月、中村座の『京鹿子(きょうがのこ)娘道成寺』で旧来の曲を集大成、これが決定版となり、以後はその変形として『双面(ふたおもて)道成寺』『奴(やっこ)道成寺』『二人(ににん)道成寺』『紀州道成寺』などが生まれた。なお、浄瑠璃義太夫(ぎだゆう)節では安珍清姫伝説を劇化した浅田一鳥(いっちょう)・並木宗輔(そうすけ)作『道成寺現在蛇鱗(げんざいうろこ)』(1742)が代表作で、これを粉本とする竹田小出雲(こいずも)・近松半二(はんじ)ら作の『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』(1759)が今日も文楽(ぶんらく)や歌舞伎で上演されている。

[松井俊諭]

『郡司正勝他編『道成寺』(1982・小学館)』

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