道教/道教の神々(読み)どうきょうどうきょうのかみがみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「道教/道教の神々」の意味・わかりやすい解説

道教/道教の神々
どうきょうどうきょうのかみがみ

*印は、別に本項目があることを示す。


 儒教の祭喪(さいそう)の礼に出る神々に対応する民間の生活文化の神々や、仏教など外来宗教の影響からくる神々などが道教の神々である。民間の神々のなかには、道家および神仙聖祖からきた神々、生活文化本来の神々、すなわち農村生活・養生医療関係・ギルド的生活の神々、福建など特殊の地域文化(のち台湾、東南アジアに広がる)などの神々がある。民間の神々にしても宗祠(そうし)関係だけは儒教的姿を保って存している。第二次世界大戦前には日本の学者の研究は、媽祖(まそ)のように海上交易によって広がったものを除き、華南(とくに福建)の神々に及ぶことは少なかった(台湾総督府関係の研究を除く)。しかし戦後は福建系の神々にも関心が及んできた。民間の生活文化の神々の多くは、年中行事(「歳時」)の神々となり、また『玉匣記(ぎょくこうき)』(『道蔵』本や民間本などにある)や民間の「諸神聖誕日表」のなかに示されている。その神々の図像は、「年画」(新年に家屋の内外に貼付(ちょうふ)される吉祥を祈るための木刻版画)のなかにみいだせる。次に代表的な神を列記する。


関帝(かんてい)
 蜀漢(しょくかん)の武将関羽(かんう)の神格化されたもの。武神となったのは8世紀末に始まる。9世紀初には伽藍(がらん)神ともなった。宋(そう)代には道教信仰の武神としての地位が高まり、王朝の祭祀(さいし)の対象にもなった。また民間信仰で財神として祀(まつ)られるようになった。明(みん)末には関聖帝君の号が与えられ、民衆道教の神として中国はもちろん、東南アジア、日本、朝鮮など各地中国人の関帝廟(びょう)など寺廟で祀られている。

玉皇上帝(ぎょくこうじょうてい)
 天、上帝、天帝の道教神化したもの。玉皇の名は唐代に始まるが、最高神である元始天尊(げんしてんそん)の雅称である「玉帝」からきたものであろう。六朝(りくちょう)時代の上清(じょうせい)派の神統譜『真霊位業図(しんれいいぎょうず)』のなかの最高神が元始天尊であるのに対し、三教合一の民衆的信仰の成長のなかで、宋代には最高神として確定、教会道教でも受け入れられた。

元始天尊(げんしてんそん)*
 儒教でいう天神(てんしん)・地祇(ちぎ)の天神が道教神化したもので、道教の最高神である。六朝時代の上清派の間でこの神の名が用いられ、それが唐代より道教各派を通じて行われるに至った。のちに、玉清(ぎょくせい)元始天尊、上清霊宝(れいほう)天尊、太清(たいせい)道徳天尊の三神をあわせて「三清(さんせい)」というようになった。

玄天上帝(げんてんじょうてい)
 北方の天の上帝。天の中心である北極星を神格化したもの。北極星信仰は周代にみられたが、道教の神として定着するのは、唐末以後であろう。宋代に玉皇信仰が確立するのに伴い、「北極紫微」星座の神は、玄帝、真武(玄武)、玄天上帝などの名でよばれるようになった。

五顕財神(ごけんざいしん)
 殷(いん)の紂(ちゅう)王の臣、趙(ちょう)玄壇を中心に四神をあわせて五顕財神という。四方五路の財を集める神として五路(ごろ)財神ともいう。宋代ころからこの信仰が固まり、「五聖」「五通」の神名も行われた。交通、流通経済とかかわる財神である。

三官大帝(さんかんたいてい)
 五斗米道(ごとべいどう)の「三官手書(しゅしょ)」(三官、すなわち天地水の三神に上奏する懺悔(ざんげ)文)の三官に始まる。天地に水を加えるのは、インド、チベットなど西方からの影響があるようで、六朝時代に上中下三元および仏教信仰と結び付き、上元天官、中元地官、下元(かげん)水官となり、それぞれ上元(正月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)に生まれたとしてその日が祭日となった。日本の中元の風習はこれからきている。

三尸(さんし)
 漢代の医方では腹中の虫(蟯虫(ぎょうちゅう))の駆除が説かれた。漢代の緯書家は、蟯を人間の腹中の鬼魅(きみ)の一種としてそれを三虫(さんちゅう)、三尸とよび、天文・暦譜・雑占の思想を混合して、庚申(こうしん)の日に三虫三尸は天に上って人間の過を神に告げるという説を述べた。この緯書家の説は、葛洪(かっこう)によって道教信仰に取り入れられた。唐代には三尸駆除法として守庚申(しゅこうしん)(庚申の夜を潔斎して眠らずに明かす)も行われた。三尸信仰は朝鮮、日本にも伝わった。日本では唐代の三尸信仰が受け入れられ、平安時代に天皇・貴族の間で守庚申が行われた。その後、仏教、修験道(しゅげんどう)、神道(しんとう)などと混合し、各種の日本的庚申信仰が行われた。

紫姑(しこ)
 則天武后(そくてんぶこう)のときの刺史(しし)の妻が、妾(めかけ)の何媚(かび)(紫姑)を嫉妬(しっと)し、ひそかに厠(かわや)の中で殺した。天帝はこれを哀れんで厠神(ししん)としたと伝えられ、俗に「三姑(さんこ)」とよぶ。三姑は占卜(ぼくせん)をよくする。のちに、六朝時代に起源する後世のいわゆる扶箕(ふち)(飛(ひらん)、扶乱(ふらん)ともいい、神の告げとして木製の箕具(ちぐ)で、道経の文や占いの文字を砂盤の上に書く)の神ともなった。

十王(じゅうおう)*
 冥界(めいかい)の十殿の冥王。仏教の冥界と中国伝統思想のものが集められて、唐末五代ころ十王(閻羅(えんら)王、転輪王(てんりんのう)、五官王(ごかんのう)、泰山王(たいせんのう)など)となった。日本にも入り、仏教的民間信仰として「十三仏」が信ぜられた。

城隍(じょうこう)
 城郭のある都市の守護神。地方行政制度に倣い、土地神の上役となり、県城隍の総元締めは都城隍として信仰された。六朝時代ころにおこり、宋代には全国的に民衆信仰として広がった。

西王母(せいおうぼ)*
 崑崙(こんろん)山の王母であるが、戦国時代の崑崙山神仙説のなかで、神仙化された。前漢末ころには女仙として信仰の客体となり、後漢(ごかん)時代には泰山信仰の東太山に配偶する西王母となり、道教の神となった。のち、瑤池金母(ようちきんぼ)ともよばれた。

竈神(そうしん)
 かまどの神。家族の守護神であるとともに監察神でもある。年末にその家の人々の言動を、上天して玉皇に上奏する。

太上老君(たいじょうろうくん)*
 黄老(こうろう)神仙思想から老子の神格化が進み、後漢代に太上老君となった。寇謙之(こうけんし)の新天師道の最高神である。

東岳大帝(とうがくたいてい)
 儒教の礼では五岳は祭りの対象であり、五岳の第一の泰山(たいざん)は、漢代に民間で泰(太)山府君(ふくん)とよばれた。唐代には天斉王(てんせいおう)の名が与えられた。泰山府君は天帝の孫で、人の魂魄(こんぱく)(心と肉体)を召し、生命の長短をつかさどる神として信仰された。道教神としての東岳大帝の名は、宋代以後に定着した。東岳大帝の娘は碧霞元君(へきかげんくん)とよばれ、「娘娘(ニャンニャン)」神の筆頭にあげられる。

土地神(とちしん)
 元来、儒教の社稷(しゃしょく)(土地と五穀の神)の礼に対応する民間、とくに農村の土地(農作地)および人民(生活)を守護する神であった。漢代にすでに社公の名が行われた。しかし中国の村落の土地神には日本の民間信仰の氏神鎮守的性格はみられない。中国では社的信仰と宗祠的信仰とは、民間信仰のなかでも厳重に区別されている。社公土地神には、漢代から里社・村落の守護神の面(後世、福徳正神(ふくとくせいしん)の名となる)と、里社人民の管理・監察神の面とが併存した。後者はその土地の人民の冥界をつかさどる神ともなり、冥界神太山(たいさん)の下僚となった。土地神の二面性は、華北では冥界を含めて監察の面が強く、華中・華南では農作および人民の安福を守護する面もあって両面の併存の傾向が強い。華南の一部地域および東南アジアでは土地神を伯公(はくこう)、大伯公とよぶことがある。なお、「土地」と同義であった「后土」は、墓地の土地神の呼び名となっている。また廟、屋内の祭龕(さいがん)などに「土地竜神」「五方五土竜神」の牌位(はいい)が置かれることが多い。

娘娘(ニャンニャン)
 道教の女神。碧霞元君(へきかげんくん)をはじめ多数の女神がある。その御利益(ごりやく)によって信仰される。送子(そうし)娘娘(子授け)、子孫娘娘(子孫繁栄)、痘疹(とうしん)娘娘(天然痘を治す)、催生(さいせい)娘娘(出産を促進)、眼光(がんこう)娘娘(眼病を治す)などがある。

文財神(ぶんざいしん)
 殷の紂王の忠臣、比干(ひかん)の神格化されたもの。民衆道教の信仰で、関帝の武財神に対して文財神として祀られる。

文昌帝君(ぶんしょうていくん)
 北斗七星の第一星以外の六星を文昌府という。人間の運命をつかさどる。科挙を受ける士人の守護神とされる。また書店、筆店などのギルド神ともなった。

鄷都神(ほうとしん)
 六朝時代、上清派の間でつくられた道教の地獄神。

北斗真君(ほくとしんくん)
 北斗七星が神格化されたもの。七星に二星をあわせて北斗九宮の星君を九星と称して信仰することが、華南から東南アジアにおいてとくに行われている。北斗に対して南斗六星(司命(しめい)、司禄(しろく)など)も信仰される。

媽祖(まそ)*
 福建の莆田(ほでん)県の林(りん)氏の女(むすめ)。生まれながら神霊を示し、人の禍福を予言した。観音(かんのん)信仰が船乗り商人の間で林氏の女(むすめ)信仰と合体し、海難救助の神となった。五代閩国でおこり、宋元時代の海上貿易の繁盛とともに航海神として定着した。明の鄭和(ていわ)の南海遠征の船には媽祖像を安置して航海水運の安全を祈った。天上聖母、天妃(てんぴ)、天后(てんこう)、天后娘娘(ニャンニャン)ともよばれ、東南アジア、台湾、琉球(りゅうきゅう)(沖縄)、日本にも伝播(でんぱ)した。

門神(もんしん)
 万鬼(ばんき)の出入する鬼門には、神荼(しんと)・鬱塁(うつりつ)の門番がいて、衆鬼を監察・制御すると信じられた。これが一般民間で門神となった。

竜王(りゅうおう)
 漢代には雷電・雲雨とかかわって竜の説話が行われた。それに仏教の八大(十大)竜王説が入り、唐代以来、中国古来の説話と結び付き民間信仰の神となった。宋代には天下の五竜(青・赤・黄・白・黒)神に封号が与えられ、各地域における干魃雨乞(かんばつあまご)いや水害除(よ)けの神として定着した。浙江(せっこう)の金竜四大王はその一事例。

劉猛将(りゅうもうしょう)
 蝗(いなご)の害から農作物を守る神。宋代ころからおこる。華中地域のこの神の祭りは有名。

呂祖(りょそ)
 唐代の仙人として伝えられるが、事実は宋初ころの道士である。字(あざな)は洞賓(とうひん)、号は純陽(じゅんよう)。全真教教団によって宗祖の一人とされ、元代には孚佑(ふゆう)帝君の号が与えられた。また呂洞賓(りょとうひん)を含めて8人の仙人をあわせた「八仙(はっせん)」の説は元代に始まるらしい。


 以上のほかに三山国王(広東(カントン)省潮州(ちょうしゅう)府掲陽(けいよう)県の三山の神)および清水祖師(せいすいそし)(烏面祖師(うめんそし)ともいう。福建省永春(えいしゅん)県)、広沢(こうたく)尊王(福建省泉州府)、開漳聖王(かいしょうせいおう)(福建省)など、広東の客家(ハッカ)地域の神や福建各地の神がある。これらは台湾、東南アジアなどに伝播している。

[酒井忠夫]

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