達磨寺(読み)だるまじ

精選版 日本国語大辞典 「達磨寺」の意味・読み・例文・類語

だるま‐じ【達磨寺】

群馬県高崎市鼻高町にある黄檗(おうばく)宗の寺。山号は少林山。はじめは曹洞宗。延宝年間(一六七三‐八一水戸光圀が明の帰化僧心越興儔(しんえつこうちゅう)開山創建達磨大師坐像を安置。七草達磨市で知られる。

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日本歴史地名大系 「達磨寺」の解説

達磨寺
だるまでら

[現在地名]王寺町本町二丁目

葛下かつげ川西岸に所在。片岡山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊達磨坐像・聖徳太子坐像。当寺の建立には「日本書紀」推古天皇二一年一二月一日条、「日本霊異記」上巻(聖徳皇太子、異しき表を示す縁)、「上宮聖徳太子伝補闕記」「聖徳太子伝暦」に伝えられる物語が先行する。これは聖徳太子が片岡かたおか山の路傍に伏した飢人と歌の贈答をしたが、後日その飢人は死んだので埋葬したところ、数日ののち屍がなくなった。そこで太子は飢人が真人(聖)であったことを知ったという故事であるが、のちにこの真人が達磨大師と混交されて当寺が建てられたと伝えられる。

「達磨禅師御廟記」によれば嘉応(一一六九―七一)の頃には後世達磨の墓と称された古墳が田の中に荒廃して横たわっていたらしく、「建久御巡礼記」建久二年(一一九一)閏一二月条に「ツカノ上三重塔に似タル廟アリ」と記す。応永(一三九四―一四二八)頃の「聖誉抄」には平安末の入唐僧勝月によって塔が建立されたとあるが、嘉元三年(一三〇五)四月には「六方衆徒蜂起令発向片岡達磨寺」(興福寺略年代記)とあるように、興福寺による達磨寺の破却があった。

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デジタル大辞泉プラス 「達磨寺」の解説

達磨寺

群馬県高崎市にある黄檗宗寺院。山号は少林山。元禄年間、心越禅師の弟子の天湫(てんしゅう)を水戸から招き、禅の道場「少林山達磨精舎」として開創。1731年、寺院に昇格。本尊は観音菩薩、達磨大師。張り子の縁起だるま発祥の地。毎年1月に行われる七草大祭だるま市は有名。

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