遺題継承(読み)いだいけいしょう

改訂新版 世界大百科事典 「遺題継承」の意味・わかりやすい解説

遺題継承 (いだいけいしょう)

遺題承継とも。1627年(寛永4)初版の《塵劫記》はベストセラーとなり,何回も改版された。41年に小型3巻本に改版したとき,著者の吉田光由はこの書の巻末に12問の難問を掲載し,世間の数学者に挑戦した。このような問題を〈遺題〉,あるいは〈好み〉という。多くの数学者がこの《塵劫記》の遺題に挑戦した。初めて,この難問の解答を公開したのは榎並和澄(えなみともすみ)である。榎並は12年後の53年(承応2)に《参両録》を出版し,その中に《塵劫記》の遺題のいくつかに解答を示した。しかも,このようなやさしい問題を難問とはおかしいといい,彼自身も8問の難問を掲載した。このように,前者の遺題の解答を示し,自分も新しく遺題を提出するというリレー式の問答を遺題継承という。遺題継承は寛文年間(1661-73)がもっとも盛んで,出題も100問,150問という多数の問題を示した数学書も現れた。なかには,前者の解答だけを示して出版された数学書もあり,また,数学の解説書から離れて,前者の解答と自己の出題だけの数学書も刊行されるようになった。遺題継承の間に従来不統一であった円周率の値が問題となった。すなわち,3.16と3.162その他である。これらの値が3.14あるいは3.1416に統一されるようになり,また代数学(天元術)も普及されるようになった。このように,和算が大きく飛躍するきっかけを作ったのも遺題継承による。和算を高等数学にまで程度を高めた関孝和も,礒村吉徳の《算法闕疑抄(けつぎしよう)》(1659)の遺題100問,村瀬義益の《算法勿憚改(ふつたんかい)》(1673)の遺題100問の解答集を作っている。関孝和が世間に広く知られるきっかけを作った著書の《発微算法》(1674)は,沢口一之の《古今算法記》(1671)の遺題15問の解答書で,本書の中で,関孝和は,文字係数の多元高次方程式の表し方を示したのである。このようにわずか30年ほどで,高等数学へと和算の程度は高まったのである。遺題継承は,遠藤利貞によれば4系列に分類される。《塵劫記》から始まる第1系,池田昌意(編)の《数学乗除往来》(1672)から始まる第2系,《算法勿憚改》から始まる第3系,中村政策(編)の《算法樵談集(しようだんしゆう)》(1702)から始まる第4系である。しかし,数学の発展に大きく貢献したという意味で第1系がとくに重要である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「遺題継承」の意味・わかりやすい解説

遺題継承
いだいけいしょう

江戸時代の数学(和算)の問答形式の一つ。1641年(寛永18)刊の『塵劫記(じんごうき)』には、読者の力試しの問題12問がある。著者の吉田光由(みつよし)は序文のなかで、その当時、数学の力がないのに数学塾を開いている者が多かったとし、この12問は、塾の先生の力量を試すための問題だといっている。数学書に書かれたこのような問題を遺題という。12年後、榎並和澄(えなみともすみ)は初めて『塵劫記』の遺題の解答を自分の著書『参両録(さんりょうろく)』のなかに示した。『参両録』には新しく遺題8問が提出されたので、ここに遺題継承というリレー式の問答が始まった。『塵劫記』から始まった遺題継承は大流行し、前者の遺題の解答と自分の出題を掲載する数学書が多く出版された。また、遺題も100問、150問と多くなり、なかには前者の遺題の解答と自己の出題だけの数学書も現れた。数学の内容は急激に高度化し、17世紀末には、行列式、高次方程式、不定方程式などの高等数学が研究されるようになった。遠藤利貞(としさだ)は遺題の系譜を、『塵劫記』から始まる第一系のほかに、『数学乗除往来』『算法勿憚改(ふつだんかい)』『算法樵談集(しょうだんしゅう)』から始まる系譜をそれぞれ第二系、第三系、第四系と分類している。しかし、実際に後世に大きな影響を与えたのは第一系だけで、とくに『塵劫記』の遺題第一〇問の「円截積(えんさいせき)」は、18世紀初頭の無限級数展開を生むきっかけを与えている。関孝和(せきたかかず)や建部賢弘(たけべかたひろ)らは、第一系により数学者として大成したといってよい。

[下平和夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遺題継承」の意味・わかりやすい解説

遺題継承
いだいけいしょう

江戸時代初期の和算家の間で行われた風習で,ある数学者が解答をつけずに著書に提出した問題 (遺題または好〈このみ〉という) を,別の数学者が解き,著書を著わして答え,みずからの問題を提出して残すこと。吉田光由の寛永 18 (1641) 年版の小型本『塵劫記』に遺題 12問が収められていたことに始る。遺題継承の習慣は,江戸時代初期の数学の発展と普及に大きな刺激を与えた。『塵劫記』の遺題を解いた書が相次いで出され,榎並和證『参両録』 (53) ,初坂重春『円方四巻記』 (57) ,山田正重『改算記』 (59) ,前田憲舒『算法至源記』 (73) は全問を解き,多数の遺題を残した。また,『塵劫記』とともに当時の日本数学の規範となった今村知商の『竪亥 (じゅがい) 録』 (39) の影響を受けたものに,磯村吉徳の『算法闕疑抄』 (59) がある。

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世界大百科事典(旧版)内の遺題継承の言及

【塵劫記】より

…この小型3巻本はそれまでの内容を大きくあらため,また増補した部分も多いが,なかでも大きな特徴は,世間の数学者に挑戦する問題12問を巻末に掲載したことにある。この問題を遺題というが,12年後の53年(承応2)に,榎並和澄(えなみともすみ)はその著《参両録》の中で,《塵劫記》の遺題の一部に解答を示し,自己の出題8問を示し,ここに前者の解答と自己の出題を示すというリレー式の問答である遺題継承が始まった。遺題継承により江戸初期の数学はまたたくまに高度な数学になった。…

【和算】より

…榎並は,吉田の問題を批判し,自分ならもっとよい問題が提出できるとし,8問を巻末に付した。前者の問題(遺題)の解答を示し,自分も新たに出題する形式を遺題継承という。それ以後,多くの数学書が遺題継承の形式を採用している。…

※「遺題継承」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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