精選版 日本国語大辞典 「那波活所」の意味・読み・例文・類語
なわ‐かっしょ【那波活所】
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(柴田純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸初期の儒学者。名は方、のちに觚。字(あざな)は道円。活所と号す。播磨(はりま)(姫路市)の豪商の家に生まれる。家業に従わず、18歳のとき藤原惺窩(ふじわらせいか)に入門、朱子学を根幹としつつ独自の学問・思想を形成する。初め肥後の加藤侯に仕え、1634年(寛永11)には紀伊侯徳川頼宣(とくがわよりのぶ)に仕えて、その思想的ブレーンとなる。その著『人君明闇(めいあん)図説』は、紀州歴代藩主の教導書となる。木庵(もくあん)(1614―1683)は彼の長子である。
[玉懸博之 2016年6月20日]
江戸前期の朱子学派の儒者。初名は方,のち觚,字は道円,号は活所。播磨の人で,初め熊本藩の俸禄を受けたが,その後紀州藩主徳川頼宣に仕え,頼宣の思想的ブレーンとなった。藤原惺窩の高弟で,林羅山らとともに藤門四天王と称された。活所の儒学思想は朱子学からしだいに陽明学に接近し,法と諫言を重視した。著書には《人君明暗図説》《活所備忘録》などがある。
執筆者:石毛 忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…【玉村 竹二】
【近世】
近世初期,漢詩文を制作するうえで必要とされる漢語その他中国文化万般にわたる知識をもっとも豊富に有していたのは儒者であったから,近世における漢詩文の歴史は,儒者の余技という形で出発した。すなわち近世最初の儒者である林羅山,松永尺五(せきご),堀杏庵,那波活所(なわかつしよ)などが,同時に近世最初の漢詩人でもあった。したがってその文学活動は,彼らの奉じた朱子学の文学観の影響を強く受け,知識人の重んずべきは儒学であって,詩文は第二義の営みにすぎないという消極的な位置づけと,詩文は道徳に資するものでなければならないという道学主義との拘束のもとにあった。…
※「那波活所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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