那珂川町(読み)なかがわまち

日本歴史地名大系 「那珂川町」の解説

那珂川町
なかがわまち

面積:七四・九九平方キロ

県北西部、北流する那珂川流域にあり、町域の大部分背振せふり山地北側の山間部にあたる。北は福岡市南区・春日市、東は大野城市・筑紫野ちくしの市、西は福岡市早良さわら区、南は佐賀県鳥栖市と同県三養基みやき中原なかばる町・神埼かんざき東脊振ひがしせふり村に接する。南境には東から権現ごんげん(六二六・二メートル)九千部くせんぶ(八四七・五メートル)石谷いしだに(七三四・四メートル)、西境にはいちノ岳(六九五・七メートル)がそびえ、北西の南区境には片縄かたなわ(二九二・六メートル)がある。那珂川は一ノ岳西側の早良区境にある脊振ダムから佐賀県境に沿って南東へ流れた後、やま地区で向きを北に転じ、南畑みなみはたダムを経て両岸に支流を合せながら北流、町北端で東部を北流してきた梶原かじわら川を合流して南区に入る。那珂川に沿って国道三八五号が町域を南北に縦断する。

旧石器時代の遺跡には片縄の井河いごう遺跡群、上梶原の平蔵へいぞう遺跡群があり、ナイフ形石器などが出土した。縄文時代になると中期を除く各時期の遺跡が確認され、中原の深原ふかばる遺跡群、埋金の四郎五郎うめがねのしろうごろう遺跡群、山田やまだの山田西遺跡群などがある。山田西遺跡群は後期から晩期にかけての集落で、灰を採集したと考えられる大型の炉が出た。

那珂川町
なかがわまち

2005年10月1日:那須郡小川町馬頭町が合併
【小川町】栃木県:那須郡
【馬頭町】栃木県:那須郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「那珂川町」の意味・わかりやすい解説

那珂川〔町〕
なかがわ

栃木県東部,八溝山地の西斜面にある町。那珂川が西部を貫流し,東で茨城県に接する。 2005年馬頭町と小川町が合体。古くから開けた土地で,奈良・平安時代には産金地として知られた。那珂川左岸の馬頭は中世水戸藩の支配地で,江戸時代はタバコの集散地として繁栄した。農業は米作が主で,タバコやコンニャクイモの栽培,畜産も行なわれる。北部の小砂 (こいさご) では小砂焼と呼ばれる陶器を産する。那珂川の河岸段丘上を中心に史跡が点在し,唐御所横穴那須官衙遺跡那須小川古墳群 (駒形大塚古墳,吉田温泉神社古墳群,那須八幡塚古墳群) ,那須神田城跡はいずれも国の史跡に指定。町域の一部は八溝県立自然公園に属する。国道 293号線,294号線,461号線が通る。面積 192.78km2。人口 1万5215(2020)。

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