那須藩(読み)なすはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「那須藩」の意味・わかりやすい解説

那須藩
なすはん

江戸時代前半期に下野(しもつけ)国那須郡福原(ふくはら)(栃木県大田原市福原)に置かれた小藩。中世以来の豪族那須氏は1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉により改易されたが、その後、那須郡福原を中心に1万4000石を与えられて那須藩が成立した。1642年(寛永19)無嗣(むし)により大半の所領を没収されて一時廃藩となったが、52年(承応1)将軍徳川家綱(いえつな)生母の弟増山資弥(ましやますけみつ)が那須家を継ぎ、64年(寛文4)1万2000石の那須藩が復活した。81年(天和1)には加増され同国内の烏山(からすやま)城に移ったため廃藩となる。

[奥田謙一]

『『大田原市史 前編』(1975・大田原市)』『『栃木県史 通史編4 近世一』(1981・栃木県)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「那須藩」の意味・わかりやすい解説

那須藩
なすはん

江戸時代,下野国 (栃木県) 那須郡を領有した藩。藩主那須氏は豊臣秀吉に仕えたが,関ヶ原戦いのとき那須資景徳川家康に仕え,慶長 11 (1606) 年には1万 4000石を領有した。その後除封され,寛文4 (64) 年再封,1万 2000石となり,天和1 (81) 年 8000石加封され,同国烏山へ移封。廃藩,のち天領となった。

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