郷校(読み)きょうこう

精選版 日本国語大辞典 「郷校」の意味・読み・例文・類語

きょう‐こう キャウカウ【郷校】

〘名〙
① 中国古代学制で、郷(きょう)に置いた学校。周では庠(よう)といって、地方小学の一つであった。郷学。〔春秋左伝‐襄公三一年〕
村里の学校。地方的な私学
随筆胆大小心録(1808)二五「大坂の学校とは潜上(せんしゃう)名目、郷校でも過ぎた事よ」
夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「水戸領内の郷校に学んだ子弟が」

ごう‐こう ガウカウ【郷校】

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デジタル大辞泉 「郷校」の意味・読み・例文・類語

きょう‐こう〔キヤウカウ〕【郷校】

郷学ごうがく」に同じ。

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普及版 字通 「郷校」の読み・字形・画数・意味

【郷校】きようこう(きやうかう)

古代の村の学校。〔左伝、襄三十一年〕人(ていひと)、に游び、以て執を論ず。然、子に謂ひて曰く、を毀(こぼ)たば何如(いかん)と。子曰く、何爲(なんす)れぞ。~是れ吾が師なり。之れを何(いかん)ぞ之れを毀たん~と。

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改訂新版 世界大百科事典 「郷校」の意味・わかりやすい解説

郷校 (きょうこう)

朝鮮高麗・李朝時代に地方郡県に設けられた国立の儒学学校。日本の郷校(ごうこう)とは性格をまったく別にする。1127年高麗の仁宗が諸州に学を建てたことに始まる。1392年李朝の太祖は即位後すぐに学校の興廃を地方長官の成績評価基準とし,以後全国各地に郷校を普及・設置させた。郷校は孔子以下の先聖先賢をまつる文廟明倫堂講堂),東西の両斎(勉強室)を備え,一定の耕地を学田として給付され,それぞれ30~90名の校生を定員と定めた。教官として教授(従六品)もしくは訓導(従九品)を配置した。教育内容は李栗谷の《学校模範》によれば,《小学》から始めて《大学》《近思録》《論語》《孟子》《中庸》,五経(この間《史記》および先賢性理の書を読む)に及ぶとされている。校生は数年勉学後,当時の第1次登竜門であった科挙の生員進士試を受験した。李朝中期以後は書院の発達につれて衰微するが,植民地下の1918年には335校,付属学田48万坪が残存,文廟祭祀を維持しながら社会教育の施設として存続した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「郷校」の意味・わかりやすい解説

郷校
きょうこう
hyanggyo

朝鮮,高麗,朝鮮王朝 (李朝) 時代の地方文廟とそれに付属した教育機関。別名は校宮,斉宮。高麗朝の仁宗5 (1127) 年,諸州における学校設立に始る。朝鮮王朝時代には太祖1 (1392) 年に諸道按察使に命じ,学校の興廃によって地方官の考課法とするなど,その振興に努めた。府,牧,郡,県に各1校ずつ設立し,地方のヤンバン (両班)郷吏の子弟を収容した。郷校には孔子をまつる文廟,学を講じる明倫堂,中国,朝鮮の学者をまつる東西両廡,学習所の東西両斉があった。郷校の儒生数は府・牧 90,都護府 70,郡 50,県 30とし,都護府以上に教授,訓導各1名,郡以下に訓導各1名をおき,国家から学田5~7結が支給され,そのほかに地方民からの醵金,または買収した土地を所有することも少くなかった。しかし朝鮮王朝中期以後,書院の発達によって郷校は衰微し,高宗 31 (1894) 年科挙制度が廃止されると教育機関としての機能はほとんど失われ,文廟をまつるだけであった。のち日本の統治時代には,総督府令により府尹,郡守の監督下におかれた。 1918年になお 335校の郷校があった。

郷校
ごうこう

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防府市歴史用語集 「郷校」の解説

郷校

 江戸時代から明治のはじめにあった学校のことです。郷学[ごうがく]とも言います。藩校[はんこう]の分校・藩による庶民の学校、庶民による庶民のための学校という3種類があります。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「郷校」の解説

郷校
ごうこう

郷学(ごうがく)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郷校」の意味・わかりやすい解説

郷校
ごうこう

郷学

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世界大百科事典(旧版)内の郷校の言及

【郷学】より

藩学(藩校)とも寺子屋とも異なる教育機能を示す学校である。郷学所,郷校,郷黌などともいう。明治の〈学制〉頒布後に設立された小学校にその機能を継承したものが多い。…

【李朝美術】より

…その自由奔放な装飾・造形は,民族的な色合いを濃く表現したものといえよう。李朝では儒教が奨励され,孔子をまつる廟と郷校(きようこう)(学校)を付属させた文廟が各地の都邑に建てられた。これらの郷校では,儒者のうち中央官庁に入れなかった人々が教師になり子弟を教育した。…

※「郷校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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