朝日日本歴史人物事典 「都一中(5代)」の解説
都一中(5代)
生年:宝暦10(1760)
江戸中・後期の一中節都派の家元。前名吾妻路宮古太夫。天明(1781~89)ごろ江戸へ下って吉原で男芸者をしていた。寛政4(1792)年春,江戸中村座で「傾城浅間岳」を語ったが,あまり評判はよくなかった。その後,劇場出演をやめ河東節の三味線方3代目山彦新次郎(のちに一中節に転じて初代菅野序遊)と組んで数多くの新曲を発表した。これにより上方生まれの一中節に江戸浄瑠璃の感覚がとり入れられ,江戸風の一中節が定着していくことになった。
(吉野雪子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報