都留(読み)ツル

デジタル大辞泉 「都留」の意味・読み・例文・類語

つる【都留】

山梨県南東部の市。古くから機業が行われ、甲斐絹かいき産地として知られる。中心地谷村やむらは旧城下町。人口3.4万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「都留」の意味・読み・例文・類語

つる【都留】

[一] 甲斐国(山梨県)東部の古郡名。明治一一年(一八七八)南・北の二郡に分かれた。現在の大月・都留・富士吉田上野原の各市と北都留・南都留の両郡とを合わせた地域にあたる。
※三代実録‐貞観一四年(872)三月二〇日「甲斐国都留郡大領外正六位上矢作部宅雄」
[二] 山梨県南東部の地名桂川の上・中流域にある。中心地域の谷村(やむら)は、文祿三年(一五九四)浅野氏の築城による勝山城の旧城下町で、江戸時代には代官所が置かれた。甲斐絹(かいき)の発祥地で、絹・人絹の織物の町として発達。昭和二九年(一九五四市制

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改訂新版 世界大百科事典 「都留」の意味・わかりやすい解説

都留[市] (つる)

山梨県南東部,郡内地方にある市。1954年谷村(やむら)町と宝,禾生(かせい),盛里(もりさと),東桂の4村が合体,市制。人口3万3588(2010)。市域御坂(みさか)・道志どうし)両山塊にはさまれ,桂川中流域に広がる。中心の旧谷村町は1594年(文禄3)浅野氏が勝山城を築いてから城下町として発展し,1633年(寛永10)秋元氏の所領になったのち,1705年(宝永2)からは天領となり,代官陣屋が置かれ郡内地方の政治中心地として栄えた。秋元氏は機業を農家の副業としてすすめたため,周辺農村に広まり,甲斐絹(かいき)をはじめとする郡内機業の中心となった。現在でも夜具地,座布団地の八端(はつたん)などが家内工業として生産される。また,近年は京浜地方に近いため電器,機械などの工場も増加している。教育面では全国唯一の公立教員養成大学である市立都留文科大学がある。富士急行線と中央自動車道河口湖線が通じる。
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世界大百科事典(旧版)内の都留の言及

【谷村】より

…地名の初見は1532年(天文1)。同年小山田信有が谷村に新館を建てて以来,戦国期郡内(都留郡)支配の拠点となった。93年(文禄2)入部した浅野氏重は翌年桂川左岸に勝山城を築城,また郡内領の検地を実施,このとき谷村は上谷(かみや)・下谷(しもや)両村に分けられたが,その後も一般には両村を合わせて谷村とよんだ。…

※「都留」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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