酒井忠正(読み)さかい ただまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠正」の解説

酒井忠正 さかい-ただまさ

1893-1971 大正-昭和時代前期の政治家。
明治26年6月10日生まれ。阿部正桓(まさたけ)の次男酒井忠興(ただおき)の養子貴族院で研究会に所属。帝国農会会長から,昭和14年阿部内閣の農相,19年貴族院副議長となる。戦後,中央競馬会理事長,横綱審議会委員長などをつとめた。昭和46年2月16日死去。77歳。東京出身。京都帝大卒。幼名は元彦。著作に「日本相撲史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の酒井忠正の言及

【安岡正篤】より

…1921年ころから参加していた社会教育研究所,その後身の大学寮で当時のデモクラシー思潮に対抗して日本主義を主張する講義を行う。25年行地社を脱退し,青少年の精神教化運動を志して,酒井忠正らの援助により金鶏学院を創立(1927)。32年日本精神による政教の維新を唱えて国維会を結成,新官僚の本山と目された。…

※「酒井忠正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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