酒井忠篤(読み)さかい・ただずみ

朝日日本歴史人物事典 「酒井忠篤」の解説

酒井忠篤

没年:大正4.6.8(1915)
生年嘉永6.2.13(1853.3.22)
幕末庄内藩(山形県)藩主。忠発の4男として出羽国鶴岡に生まれ,文久2(1862)年10歳で家督継承。翌年幕命により新徴組を配下に,松平親懐,菅実秀の補佐を得て江戸市中取り締まりに当たる。「 蟒 よりも酢漿草(家紋)怖い」と恐れられ,薩摩藩邸を焼打ち。戊辰戦争では忠発の裁断降伏,東京清光寺に謹慎し弟忠宝に家督を譲る。赦免後,西郷隆盛を慕って鹿児島へ練兵修行に赴く。明治4(1871)年兵部省に出仕し練兵御用掛,陸軍中佐。翌年から兵学研究にドイツ留学。帰国後,西郷なき政府に失望し辞官,家督再相続。バラ栽培に過ごし,63歳で没した。<参考文献>佐藤三郎『庄内藩酒井家』

(三井美恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠篤」の解説

酒井忠篤 さかい-ただずみ

1853-1915 幕末の大名
嘉永(かえい)6年2月13日生まれ。酒井忠発(ただあき)の子。酒井忠寛(ただとも)の養子となり,文久2年出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩主酒井家11代。戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越列藩同盟一員として新政府軍とたたかうが,明治元年降伏し謹慎となる。維新後,兵部省にはいった。大正4年6月8日死去。63歳。

酒井忠篤 さかい-ただあつ

1703-1737 江戸時代中期の大名。
元禄(げんろく)16年生まれ。酒井忠胤(ただたね)の長男。正徳(しょうとく)2年安房(あわ)(千葉県)勝山藩主酒井家3代となる。大坂加番をつとめた。元文2年5月13日死去。35歳。

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