釈奠(読み)さくてん(英語表記)shì diàn

精選版 日本国語大辞典 「釈奠」の意味・読み・例文・類語

さく‐てん【釈奠】

〘名〙
① (「釈」「奠」ともに置く意で、供物をささげ置くこと) 古代中国で、先聖先師の祭の総称。後漢以後は孔子と七十二弟子をまつる大典をいうようになった。
日本で、もと大学寮に孔子および十哲肖像を掛けてまつった儀式。しゃくてんせきてん
有明の別(12C後)二「すぎぬるさくてんには、たれたれかまゐりたりける」

しゃく‐てん【釈奠】

〘名〙 二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮で孔子ならびに十哲の像を掛けてまつった儀式。せきてん。
※春曙抄本枕(10C終)一一七「二月官のつかさに定考といふことをするは、何事にあらん。しゃくてんもいかならん」

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デジタル大辞泉 「釈奠」の意味・読み・例文・類語

せき‐てん【×奠】

《「釈」「奠」ともに、供え物を置く意》陰暦2月と8月の上のひのとの日に孔子を祭る儀式。古代中国では先帝先師の祭りの総称であったが、後漢以来孔子とその弟子を祭る大典をいうようになった。日本では大宝元年(701)に初めて大学寮で行われ、室町時代には衰微したが、江戸時代に幕府・諸藩が再興、現在も湯島聖堂などで行われている。しゃくてん。さくてん。 春》「―や誰が註古りし手沢本/草城

おき‐まつり【×奠】

孔子を祭る儀式。 春》釈奠せきてん

さく‐てん【×奠】

せきてん(釈奠)

しゃく‐てん【釈×奠】

せきてん(釈奠)

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改訂新版 世界大百科事典 「釈奠」の意味・わかりやすい解説

釈奠 (せきてん)
shì diàn

中国,古代の学校において,食物や酒をささげて聖人や先師を祭る祭礼。開学の際と,以後季節ごとに釈奠が行われる。祭祀の対象は,蒼(倉)頡(そうけつ),周公,孔子などのほか,それぞれの学校の先師たちであったが,後世には孔子と弟子たちが中心となる。また春の入学に際し萍蘩(ひようはん)の類をそなえて聖人や先師を祭るのを釈菜(せきさい)(あるいは舎采)という。釈奠には牛や羊がささげられるのに対し,野菜をささげる釈菜はより軽い礼だとされる。釈奠の礼には天子が臨席することが《礼記(らいき)》などに見えるが,魏晋南北朝から唐代にかけても国家行事として釈奠が行われた例を《通典(つてん)》が列挙しており,またそれに際して文人たちがたてまつった詩や頌の作品を《芸之類聚》が集めている。日本では文武天皇の時代に大学寮ではじめて釈奠が行われた記録がある。中国本土での現況は知りえないが,朝鮮では今日もこの礼が実修されており,日本でも湯島聖堂などこれを行う所がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「釈奠」の意味・わかりやすい解説

釈奠
せきてん

孔子(こうし)の祭り。牛や羊などの犠牲(いけにえ)やいろいろな供物を捧(ささ)げて祀(まつ)る。古代中国では舜(しゅん)、禹(う)、文王などを先聖、高徳の人を先師として祀ったが、漢、魏(ぎ)以後は、周公と孔子、あるいは孔子と顔回(がんかい)を祀るようになり、明(みん)の嘉靖(かせい)(1522~1566)以後、孔子のみ祀ることを釈奠という。1914年(民国3)祀孔(しこう)と改称された。古く学校、山川、廟社(びょうしゃ)で随時行われたが、246年(魏の正始7)春秋の二季とされ、北斉(ほくせい)には春秋二仲(2月・8月)となり、隋(ずい)からは両月の上丁(じょうてい)(初めの丁(ひのと)の日)に固定した。これによって丁祭、上丁祭ともいう。釈奠より軽い祭りとして釈菜(せきさい)(主として野菜の類を供える)、釈幣(せきへい)(幣帛(へいはく)を供える)がある。

[田中 有]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「釈奠」の解説

釈奠
せきてん

儒教の祖である孔子とその弟子たちを祭る儀式。701年(大宝元)に始まり,大学と国学で毎年2月と8月の最初の丁(ひのと)の日に挙行することが大宝令で法文化された。吉備真備(きびのまきび)による整備や平安初期の唐礼の継受をへて,9世紀中葉には儀式が充実した。大学での釈奠の式次第は,「延喜式」によれば,廟堂院で孔子以下を祭る饋享(ききょう)と,都堂院での講論および宴座(えんざ),紀伝道の文人賦詩,明経(みょうぎょう)・明法(みょうぼう)・算道の論義からなり,8月の釈奠には翌日の内裏での内論義が加わる。講論では,「孝経」「礼記(らいき)」「毛詩」「尚書」「論語」「周易」「春秋左氏伝」が1回の釈奠で1書ずつ順番に論義され,七経輪転といった。朝廷の釈奠は中世以降衰微したが,近世になると,江戸幕府が本格的に行うようになった。1633年(寛永10)に林家(りんけ)の忍岡(しのぶがおか)聖堂で行われ,91年(元禄4)の湯島への聖堂移転を契機に大規模化した。藩学でも幕府にならって行ったが,明治維新に至って廃絶した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「釈奠」の意味・わかりやすい解説

釈奠
せきてん
Shi-dian

孔子を中心にして祀る儀式。孔子とともに周公や弟子のうちのいわゆる「孔門の十哲」なども祀る。中国では民国の時代までこの儀式が主として春秋の2回行われた。同じく孔子を祀る儀式に釈菜 (せきさい) ,釈幣 (せきへい) といわれるものがあるが,釈奠が最も重視される。この儀式は日本にも移入され,奈良時代に行われたが,そののち絶え,江戸時代に復活した。現在も,東京お茶ノ水にある孔子廟 (湯島聖堂) で挙行されているが,供物には魚を用いたり (中国では本来は動物を犠牲とする) ,茶道による献茶式が伴ったりしていて,かなり日本的に変化している。また,佐賀県多久市の孔子廟でも行なっている。

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百科事典マイペディア 「釈奠」の意味・わかりやすい解説

釈奠【せきてん】

中国で孔子と周公,または孔子と顔回その他の弟子とをまつる祭礼。儒教が官学になった漢代から民国まで歴代行われてきた。時期は古代には四季の定期と臨時とがあり,魏のころから春秋2回になった。日本では文武天皇の大宝1年(701年)に大学寮で初めて行われた。湯島聖堂では今日も続けられている。

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事典・日本の観光資源 「釈奠」の解説

釈奠

(栃木県足利市)
とちぎのまつり100選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の釈奠の言及

【シカ(鹿)】より

…【千葉 徳爾】
[食用]
 捕獲しやすく,かつ,美味のゆえであろう,日本人は古くから鹿を好んで食べたようで,縄文遺跡の出土例でも鹿は猪を上回って,哺乳類中の最多を示している。《延喜式》には2月,8月の釈奠(せきてん)祭の料として,干肉,塩辛のほか,羹(あつもの)などに用いる肉や内臓の名が見え,《今昔物語集》巻三十には〈煎物ニテモ甘シ,焼物ニテモ美キ奴〉ということばがあり,平安期以降おおむねそうした食べ方がされていたようである。江戸後期の儒学者羽倉簡堂の《饌書》によれば,鹿は冬が美味で,胸肉がもっともよく後肢がこれにつぐとされ,料理としてはすき焼風のなべ料理が歓迎されるようになっていた。…

【中国】より

…儒教はしばしば中国の国教といわれるが,しかしキリスト教が欧米諸国の国教的地位を占めており,イスラム教がイスラム諸国の国教であるのとはおもむきが異なる。それは,その教義を絶えず説ききかせる聖職者をもたず,教徒がつねに信仰を確かめるための教会をもたず,礼拝の儀式も,官の主催する孔子廟の釈奠(せきてん)の祭りと児童の入塾の際の叩頭礼くらいのほか,ない。他教徒に対してそれを異端邪教として迫害,殺戮したこともないし,国家に対抗して教会として起ちあがり抗争を試みるということもなかった。…

※「釈奠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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