重明親王(読み)しげあきらしんのう

朝日日本歴史人物事典 「重明親王」の解説

重明親王

没年天暦8.9.14(954.10.13)
生年延喜6(906)
平安中期の皇族醍醐天皇と大納言源昇の娘の子。初め将保,6歳のときに改名異母兄克明,保明が没したため皇位継承者として浮上したが実現はしなかった。しかし時の権力者藤原忠平の娘寛子(当初は皇太子保明親王妃),寛子没後は同じく師輔の娘登子と婚姻を結んでおり,親王の立場が示されている。天慶6(943)年式部卿。たぐいまれな容儀才学の持ち主であったことから,『源氏物語』のモデルという話も生まれた(『参語集』)。吏部(「りほう」とも。式部卿の唐名)王とも呼ばれ,日記『吏部王記』は10世紀初めの貴族社会を知るうえでの貴重な史料

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重明親王」の解説

重明親王 しげあきらしんのう

906-954 平安時代中期,醍醐(だいご)天皇の第4皇子。
延喜(えんぎ)6年生まれ。母は源昇の娘。中務卿(なかつかさきょう)をへて,天暦(てんりゃく)4年式部卿となる。才学ともにすぐれ,弟にあたる朱雀(すざく)天皇,村上天皇治世を補佐した。式部卿の唐名吏部(りほう)尚書にちなんだ日記「吏部(李部)王記」がある。天暦8年9月14日死去。49歳。初名は将保。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の重明親王の言及

【吏部王記】より

…醍醐天皇の皇子重明親王(906‐954)の日記。《李部王記》とも書く。…

※「重明親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android