野口幽谷(読み)のぐち・ゆうこく

朝日日本歴史人物事典 「野口幽谷」の解説

野口幽谷

没年明治31.6.26(1898)
生年:文政8(1825)
幕末明治期の南画家。大工の子として江戸に生まれた。名は続,通称巳之助,画室を和楽堂と号した。椿椿山に学び,明治に入ってから博覧会や展覧会に出品,次第に画技を認められた。宮中で学問所その他に障壁画を描き(1886),博覧会や内国絵画共進会の審査官を歴任した。また帝室技芸員の制度ができると,橋本雅邦らと共にこれに任ぜられた(1890)。幽谷作風は師の椿山を継いでいるが,やや固い表現が特色になっている。高潔な性格で,一生を丁髷で通したことでも有名。代表作は「菊花鶏図屏風」(個人蔵)などである。

(小川知二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野口幽谷」の意味・わかりやすい解説

野口幽谷
のぐちゆうこく
(1827―1898)

幕末から明治の南画家。名は績、通称は巳之助、幽谷、和楽堂などと号する。江戸の大工の家に生まれ、初め家業を継ぐが、のち椿椿山(つばきちんざん)に師事して華麗な花鳥画を得意とした。画(え)、性ともに誠実清貧に甘んじ師風をよく伝えて、明治南画壇で活躍した。しばしば共進会の審査員を務め、1893年(明治26)帝室技芸員に任ぜられる。作品では『緑竹双鶏図』(宮内庁)が有名。門下松林桂月(けいげつ)がいる。著書に『和楽堂画譜』『花鳥画譜』がある。

[星野 鈴]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口幽谷」の解説

野口幽谷 のぐち-ゆうこく

1827-1898 江戸後期-明治時代の日本画家。
文政10年1月7日生まれ。椿椿山(つばき-ちんざん)に師事し,花鳥画を得意とした。明治26年帝室技芸員。明治31年6月26日死去。72歳。江戸出身。名は続。通称は巳之助。作品に「竹石図」「菊花鶏図」など。

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