野沢喜八郎(初代)(読み)のざわ・きはちろう

朝日日本歴史人物事典 「野沢喜八郎(初代)」の解説

野沢喜八郎(初代)

没年享保13頃(1728)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節三味線弾き。野沢派の祖。通称間の町。初代竹沢権右衛門の門弟。人形浄瑠璃豊竹座の三味線指導者。享保11(1726)年,豊竹上野少掾(のちの 越前少掾)に「北条時頼記」中「女鉢の木」で派手な弾奏をして,技巧的で派手な東風の源となった。なお彼の門弟2代目喜八郎は浄瑠璃の番付に三味線弾きの名を掲げるようにした功労者といわれている。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,野沢勝平事加藤善一『野沢の面影』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢喜八郎(初代)」の解説

野沢喜八郎(初代) のざわ-きはちろう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方
義太夫節。初代竹沢権右衛門の高弟で野沢流の始祖豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の相三味線をつとめた。享保(きょうほう)13年(1728)ごろ死去。通称は野沢屋喜八。

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