朝日日本歴史人物事典 「金子弥平」の解説
金子弥平
生年:安政1.12(1854)
明治大正期の満州(中国東北部)開拓者。南部藩(岩手県)出身で慶応義塾に学ぶ。北京公使の随員として北京に渡り,帰国後東京で中国語学校を創設した。その後品川弥二郎の知遇を得て外務省に入ったが,品川が国民協会を組織したとき(1892),辞して同協会のため尽力した。そして再び渡清して営口に日本雑貨店を開き,また満州物産流通の事業に従事,日露開戦(1904)に伴い鴨緑江の樹木事業や高粱酒製造に成功,さらに安東県市政にも参画した。晩年は京都で隠棲して中国革命家と交流があった。
(波多野勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報