金時鐘(読み)きむしじょん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金時鐘」の意味・わかりやすい解説

金時鐘
きむしじょん
(1929― )

詩人。朝鮮・元山(げんざん/ウォンサン)市(現・北朝鮮)生まれ。1942年(昭和17)、光州(こうしゅう/クワンジュ)にある教員養成のための中学校に入学する。夏休みの帰省中に済州島(さいしゅうとう/チェジュド)で日本の第二次世界大戦敗戦、朝鮮の解放を迎えるが、当時16歳の金時鐘はハングルの一文字も書けない「皇国臣民」だった。父から伝えられ唯一知っていた朝鮮語の歌「クレメンタインの歌」により朝鮮人として再生していく過程は評論集『クレメンタインの歌』(1980)に詳しい。45年12月、のこり半年を残して中学校を中退。済州島へ戻り済州島人民委員会で働く。済州島四・三事件(済州島事件)の蜂起(1948)に参加。李承晩(りしょうばん/イスンマン)政権によって島民の3分の1が虐殺されるなか49年(昭和24)、密航船に乗り込み神戸に上陸。その後、大阪・猪飼野(いがいの)(現中川)のろうそく工場で働く。50年4月日本共産党に入党。関西大学で朝鮮文化研究会を組織し、この頃から詩作を始める。

 53年2月大阪の朝鮮詩人集団「ヂンダレ」(「朝鮮ツツジ」の意)を発足させる。同人誌『ヂンダレ』には梁石日(ヤンソギル)らも加わるが、56年頃から金時鐘は自分が関西地区青年文化書記長も務めていた朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に対し公然と批判を始めたため、同人が40~50人いた『ヂンダレ』が解散した後発足させた同人誌『カリオン』の同人は3人だった。当時の作品には詩集地平線』(1955)、詩集『日本風土記』(1957)などがある。金達寿(キムタルス)の薦めで、連作詩「猪飼野詩集」を季刊『三千里』に書き下ろすが、そのなかで金日成(きんにっせい/キムイルソン)から金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)への政権世襲を慨嘆する風刺詩「十三月がやってくる」が、朝鮮総連との関係が悪くなれば続刊が難しくなるとの編集部の危惧より掲載拒否となり、『三千里』との関係は途絶。長篇詩集『新潟』(1970)、東京新聞出版局より出た『猪飼野詩集』(1978)、詩集『光州詩片』(1983)の三つをまとめた詩集『原野の詩』(1991)で小熊秀雄賞を受賞する。73年、兵庫県立湊川高校教員となる。金時鐘の着任により日本の教育史上初めて朝鮮語が公立高校で正課にとりあげられ、初めての日本の公立高校の朝鮮人教師になる。その経緯については『「在日」のはざまで』(1986)に詳しい。本書で毎日出版文化賞受賞。88年湊川高校を退職。89年(平成1)、11年間出講の神戸大学を辞任。大阪文学学校で創作の講師を務める。

 四・三事件に直接関わりながら50年以上も沈黙をまもってきた金時鐘が初めて公の場で事件について語ったのは2000年の「済州島四・三事件52周年記念講演会」における講演である。対照的に『鴉(からす)の死』(1957)、『火山島』(1983~97)をはじめとして四・三事件を素材とした小説を書き続けてきた金石範(きんせきはん/キムソクポム)との対談集『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(2001)ではその経緯について詳細に語っている。そのほか植民地政策の圧力のもとで「親日派」の烙印を押された金素雲(きんそうん/キムソウン)、『故郷』(1941)、『光の中に』(1969)など日本語での創作時期を経て朝鮮戦争に従軍し生命を落とした金史良(きんしりょう/キムサリャン)という対照的な2人について書いたものに、「金素雲追悼文」「金史良論」などを含む評論集『草むらの時』(1997)、詩集『化石の夏』(1998)など。

[朴文順]

『『地平線』(1955・ヂンダレ刊行会)』『『日本風土記』(1957・国文社)』『『新潟』(1970・構造社)』『『猪飼野詩集』(東京新聞出版局・1978)』『『クレメンタインの歌』(1980・文和書房)』『『光州詩片』(1983・福武書店)』『『原野の詩』(1991・立風書房)』『『草むらの時』(1997・海風社)』『『化石の夏』(1998・海風社)』『『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)』『金石範・金時鐘著『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(2001・平凡社)』『中村福治著『金石範と「火山島」』(2001・同時代社)』『金石日著『新編「在日」の思想』(2001・講談社)』『梁石日著『アジア的身体』(平凡社ライブラリー)』

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百科事典マイペディア 「金時鐘」の意味・わかりやすい解説

金時鐘【きんじしょう】

在日朝鮮人の詩人。元山生れ。師範学校卒業。1948年の済州島四・三蜂起に関わった。1949年渡日,在日朝鮮人の政治・文化活動に参加した。兵庫県立湊川高校教員となり,日本の公立学校で初めて正規科目として朝鮮語を教え,大阪文学学校理事長なども務めた。主著に詩集《地平線》(1955年),《日本風土記》(1957年),《新潟》(1970年),《猪飼野詩集》(1978年),《光州詩片》(1983年),《原野の詩》(1991年),《化石の夏》(1998年),エッセー《さらされるものとさらすものと》(1975年),《クレメンタインの歌》(1980年),《〈在日〉のはざまで》(1986年。毎日出版文化賞受賞),《草むらの時》(1997年),《わが生と詩》(2004年),金石範との共著《なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか》(2001年)などがある。

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