金木(読み)カナギ

デジタル大辞泉 「金木」の意味・読み・例文・類語

かな‐ぎ【金木/×鉗】

《「かなき」とも》
細い堅い木。また、その枝。
刑具の一。鉄製または木製首枷くびかせ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金木」の意味・わかりやすい解説

金木
かなぎ

青森県北西部北津軽郡(きたつがるぐん)にあった旧町名(金木町(まち))。現在は中泊(なかどまり)町の南部をはさんで南北に分かれる五所川原(ごしょがわら)市の南部域の北側に位置する。1920年(大正9)町制施行。1955年(昭和30)喜良市(きらいち)、嘉瀬(かせ)の2村を合併。2005年(平成17)、五所川原市に合併。旧町域の東部は津軽山地国有林大部分を占め、西部は岩木川やその支流の流れる津軽平野である。近世初頭に開村し、元禄(げんろく)年間(1688~1704)に金木新田として本格的に開拓された。1683年(天和3)金木川口御番所が置かれ、1687年(貞享4)金木組24か村支配の代官所が設置され、津軽北部の中心地として発展した。おもに米と木材を産出し、リンゴも産する。1930年(昭和5)津軽鉄道開通してから便利になったが、地方の中心的機能は衰えた。太宰治(だざいおさむ)の生家がある。

横山 弘]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金木」の意味・わかりやすい解説

金木
かなぎ

青森県北西部,津軽平野北部にある五所川原市北部の旧町域。 1920年町制。 1955年嘉瀬 (かせ) 村,喜良市 (きらいち) 村の2村と合体。 2005年五所川原市,市浦村と合体して五所川原市となった。西部は,江戸時代弘前藩の新田開発によって米作地域となり,東部は津軽山地で大部分が国有林。中心の金木地区は 1930年に五所川原-中里間に津軽鉄道が開通,また太宰治の生家「斜陽館」がある。芦野公園は桜の名所芦野池沼群県立自然公園に属する。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「金木」の意味・わかりやすい解説

金木 (かなぎ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

動植物名よみかた辞典 普及版 「金木」の解説

金木 (カナギ)

植物ニレ科ニレ属の樹木総称。ニレの別称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の金木の言及

【木造[町]】より

…津軽平野西部,岩木川西岸を占め,町の西部は屛風山砂丘からなる七里長浜の単調な海岸線で日本海に臨む。岩木川西岸の平野部はかつては低湿な泥炭地で,17世紀後半に津軽藩4代藩主津軽信政が藩の直営事業として新田開発に着手し,以後200年にわたり,木造,金木,俵元の3新田が開発され,木造はその中心として発展した。明治に入って五所川原に郡役所が置かれ,1918年陸奥鉄道(のち国鉄(現JR)五能線)川部~五所川原間の開通とともに,津軽平野北部の中心は木造から五所川原に移った。…

※「金木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android