金沢庄三郎(読み)カナザワショウザブロウ

デジタル大辞泉 「金沢庄三郎」の意味・読み・例文・類語

かなざわ‐しょうざぶろう〔かなざはシヤウザブラウ〕【金沢庄三郎】

[1872~1967]言語学者。大阪の生まれ。比較言語学理論を導入し、日本語朝鮮語同系論を唱えた。著「日韓両国語同系論」「日本文法新論」、編著広辞林」。

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精選版 日本国語大辞典 「金沢庄三郎」の意味・読み・例文・類語

かなざわ‐しょうざぶろう【金沢庄三郎】

国語学者、言語学者。大阪生まれ。日本における朝鮮語学の開拓者。東京帝大卒。国学院大学教授。日本語と東洋諸国語の比較研究に没頭し、「日韓両国語同系論」「日鮮同祖論」は有名。辞書辞林」「広辞林」の編者。他に「日本文法新論」など。明治五~昭和四二年(一八七二‐一九六七

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改訂新版 世界大百科事典 「金沢庄三郎」の意味・わかりやすい解説

金沢庄三郎 (かなざわしょうざぶろう)
生没年:1872-1967(明治5-昭和42)

言語学者,国語学者。日本における朝鮮語学の開拓者。大阪生れ。1896年東京帝国大学博言学科卒業。明治末年朝鮮に渡り,朝鮮語を研究し,多くの貢献をなした。その研究は日本語をはじめ東洋諸言語に及び,中でも日本語と朝鮮語の比較研究による両言語同系論は世界的に有名である。そのおもな著述には《日韓両国語同系論》《日鮮同祖論》《日本文法新論》などがあり,そのほか多くの論文がある。なお一般には,辞書《辞林》《広辞林》の編者として知られている。
日鮮同祖論
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金沢庄三郎」の意味・わかりやすい解説

金沢庄三郎
かなざわしょうざぶろう
(1872―1967)

言語学者。帝国大学博言学科(東京大学文学部言語学科の前身)卒業。日本における朝鮮語学の開拓者で、アイヌ語その他の東洋諸言語の研究も手がけた。日韓併合条約が締結された1910年(明治43)刊行の『日韓両国語同系論』や『日鮮同祖論』(1929)で、両国語は同系であると主張し、『日本文法新論』(1912)でも朝鮮語などとの比較を行った。しかし、これらによって同系が証明されたわけではない。このほか『辞林』(1907)は、現代語を多く取り入れた国語辞典として広く用いられ、『広辞林』はその増補版である。

[安田尚道 2018年10月19日]

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百科事典マイペディア 「金沢庄三郎」の意味・わかりやすい解説

金沢庄三郎【かなざわしょうざぶろう】

言語学者,国語学者。大阪生れ。東大博言学科卒。西洋言語学説の紹介,国語学および諸東洋語学に業績が多い。とりわけ日本語と朝鮮語との比較研究による両言語同系論は有名。このうえに立って展開した《日鮮同祖論》(1929年)は日本の朝鮮支配を正当化する機能を担った。主著《日韓両国語同系論》《日本文法論》等のほか,辞書《広辞林》等の編纂(へんさん)でも知られる。
→関連項目国語辞典(日本)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金沢庄三郎」の意味・わかりやすい解説

金沢庄三郎
かなざわしょうざぶろう

[生]明治5(1872).1.13. 大阪
[没]1967.6.2. 東京
言語学者,国語学者。 1896年帝国大学博言学科卒業。國學院大學名誉教授。東京大学,駒澤大学などでも教鞭をとる。東洋語,なかでも日本語と朝鮮語を研究し,『日韓両国語同系論』 (1910) や『日鮮同祖論』 (1929) で両言語の比較研究を推し進めた。国語辞典『辞林』 (1907) ,これを改訂増補した『広辞林』 (1925) の編者。ほかに『言語に映じたる原人の思想』 (1920) や翻訳書などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金沢庄三郎」の解説

金沢庄三郎 かなざわ-しょうざぶろう

1872-1967 明治-昭和時代の言語学者,国語学者。
明治5年5月7日生まれ。大正12年(1923)国学院大教授となり,駒沢大,東京帝大でも講義。朝鮮語を主とする東洋語を研究,「日鮮同祖論」で日本語と朝鮮語は同系であることを主張した。また国語辞典「辞林」「広辞林」を編集。昭和42年6月2日死去。95歳。大阪出身。帝国大学卒。

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世界大百科事典(旧版)内の金沢庄三郎の言及

【日鮮同祖論】より

…第3期は三・一独立運動(1919)以後であるが,朝鮮人の強靱な民族的自覚を抑えるためにいっそう精緻な同祖論が必要とされた。その要請に応えたのが金沢庄三郎の《日鮮同祖論》(1929)である。彼はすでに《日韓両国語同系論》(1910)や《日鮮古代地名の研究》を著していたが,音韻学の手法を駆使して日朝両民族の同祖性を論じるとともに,さらに大きな地域的広がりをもつ〈ソ民族〉の存在を想定してみせた。…

【日本語】より

…(1)北方説 朝鮮語との同系説が有名で,古くはW.G.アストンが《日本語と朝鮮語との比較研究》(1879)において両言語の親族関係を認めている(例,〈水〉日midu:朝mɯl)。金沢庄三郎も《日韓両国語同系論》(1910)を発表し,同一起源説を主張した(例,〈われわれ〉日ware:朝uri)。さらに大野晋は《日本語の起源》(1957)の中で226の比較例を提示したが,語中での音声対応が確立できない状態にある。…

※「金沢庄三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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