朝日日本歴史人物事典 「金田徳光」の解説
金田徳光
生年:文久3.9.20(1863.11.1)
徳光教の教祖。大阪府中河内郡八尾町(八尾市)に,和田徳平と岡田ミネの子として生まれ,岡田徳松といった。明治4(1871)年から,浅香久平の経営する鉄工所に奉公し,浅香の感化を受けて,弘法大師信仰になじみ,また幼いころから霊視能力を発揮したといわれる。同11年,親戚の金田家の名義を相続し,金田姓となる。同15年には独立して,堺で金物商を始める。商売の一方で,弘法大師信仰から高野山参詣を熱心にし,修行も続けた。同37年ごろ,御岳教で教師の資格を取得し,同40年には大講義となる。商売は支店を開くほど繁盛したが,同44年に神のお告げによって,商売をやめ,信仰と布教に専念する。大正1(1912)年,国家主義的団体の幹部であった山内良千,相場師の小田切徳照らが参画し,大阪府下天王寺村の自宅を本部にして,御岳教徳光大教会を設立した。このときに徳光と改名。教育勅語を教義の本旨とし,国家主義的な教えと日常生活での修養を説いた。病気や苦しみを自分の身に振り替えるという「御振替」による病気治し,相場の予知能力の評判によって,第1次大戦中,好景気の大阪で信者を増やした。教祖の死後,教勢は衰えるが,幹部の御木徳一が教えを継承して,ひとのみち教団を開き,その後身のパーフェクトリバティー(PL)教団では,教祖を「幽祖」として崇敬している。
(川村邦光)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報