金輪寺(読み)きんりんじ

精選版 日本国語大辞典 「金輪寺」の意味・読み・例文・類語

きんりん‐じ【金輪寺】

〘名〙 (後醍醐天皇吉野の金輪寺で、一字金輪の法を修した際に、山中の蔦(つた)茶入れを作らせたところからいう) 茶道で、茶入れの一つ。蔦材を筒形に作り、外は溜塗り、内は黒漆塗りで、濃茶薄茶ともに用いる。こんりんじ。

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日本歴史地名大系 「金輪寺」の解説

金輪寺
きんりんじ

[現在地名]亀岡市宮前町宮川

宮川みやがわの西、神尾かんのお山の東中腹にある。本山修験宗に属し、もと京都六角住心じゆうしん(現京都市中京区)末寺であった。山号神尾山、本尊薬師如来

寺伝によれば、延暦年中(七八二―八〇六)西願の開基になり、その後一時衰微したが、栂尾とがのお明恵再興により一切経蔵その他の堂宇を建立し、南谷北谷の両谷に堂宇が建ち並んだという。南北両谷にその堂宇が存在したことは明応四年(一四九五)の後土御門天皇綸旨写(「南桑田郡誌」所引)

<資料は省略されています>

とみえ、そのほか文明一二年(一四八〇)の同綸旨写(「桑下漫録」所引)でも明らかである。

神尾山中には堂・僧房山門の跡と認められる礎石や石垣などが残り、往時の隆昌をうかがわせる。

金輪寺
きんりんじ

[現在地名]亀岡市東別院町栢原

栢原かいばら川が東掛とうげ川と合流する落合おちあいより少し下の清坂街道沿い西側にある。祥応山と号し、真言宗智山派、本尊阿弥陀如来。

寺伝によれば、弘法大師が紀州熊野より三所権現および阿弥陀・薬師・観音を移したのに始まり、丹波高野山と称して、集落東南のたから山に七堂伽藍を備えたが、延元元年(一三三六)に焼け、仏像を現在地に移し金輪寺としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の金輪寺の言及

【棗】より

…次に棗の文字を使うものは,中国で別の用途に使われていたものの応用と思われる。また,金輪寺(きんりんじ)棗(蔦(つた)材の木地)というのがあり,これは御醍醐天皇が吉野の金峰山寺で一字金輪の法を修し,衆僧に茶を賜ったときの容器とされ,初期には濃茶入として用いられていた。しかしこれは小型の経筒であったと考証されている。…

※「金輪寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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