朝日日本歴史人物事典 「鈴木昌司」の解説
鈴木昌司
生年:天保12.9.18(1841.11.1)
明治時代の政治家。幼名は保逸郎,号は竹外。越後代石村(新潟県吉川町)の庄屋鈴木三郎右衛門の長男。妻はりう。戸長時代に地租改正反対闘争に参加し,明治10(1877)年八木原繁祉と高田町(上越市)の士族にもよびかけて新潟県最初の民権結社明十社を結成した。県会議員時代には鳴鶴社,頸城自由党,北辰自由党,求友会,越佐同盟会などを組織。高田事件(1883)に連座し,保安条例にも触れたが,県会議長を経て第1回(1890),第2回(1892)総選挙に当選した。吉川町史編纂室が関係史料を整理解読している。<参考文献>新潟県社会科教育研究会編『自由民権運動と高田事件』
(河西英通)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報