鈴木 喜三郎(読み)スズキ キサブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鈴木 喜三郎」の解説

鈴木 喜三郎
スズキ キサブロウ


肩書
法相,内相,衆院議員,政友会総裁,検事総長

旧名・旧姓
旧姓=川島

生年月日
慶応3年10月11日(1867年)

出身地
神奈川県川崎市

学歴
東京帝大法科〔明治24年〕卒

経歴
明治24年司法省入り。26年判事に任ぜられ、東京地裁、東京控訴院、大審院各判事を歴任検事に転じて辣腕をふるい本省刑事局長、大審院検事、法務局長を経て、大正3年司法次官に就任。10年平沼騏一郎の後任の検事総長。9年貴族院議員に勅選され、13年清浦内閣の法相。15年政友会に入り、昭和2年田中義一内閣の内相として特高警察拡充、治安維持法の強化を図り、昭和3年の3.15事件で共産党弾圧を指揮した。また第1回普選では選挙干渉し、責任を問われて辞任。党内では義弟鳩山一郎の支持を得て中心に立ち、6年犬養内閣で法相から内相。7年衆院選に当選。同年の5.15事件後政友会総裁に選ばれたが、11年の総選挙に敗れ、14年総裁も辞任した。一方、右翼団体大日本国粋会の顧問・総裁をつとめた。

没年月日
昭和15年6月24日

家族
長男=鈴木 国久(弁護士・京都地裁所長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「鈴木 喜三郎」の解説

鈴木 喜三郎
スズキ キサブロウ

大正・昭和期の政治家,司法官僚 法相;内相;衆院議員;政友会総裁;検事総長。



生年
慶応3年10月11日(1867年)

没年
昭和15(1940)年6月24日

出身地
神奈川県川崎市

旧姓(旧名)
川島

学歴〔年〕
東京帝大法科〔明治24年〕卒

経歴
明治24年司法省入り。26年判事に任ぜられ、東京地裁、東京控訴院、大審院各判事を歴任。検事に転じて辣腕をふるい本省刑事局長、大審院検事、法務局長を経て、大正3年司法次官に就任。10年平沼騏一郎の後任の検事総長。9年貴族院議員に勅選され、13年清浦内閣の法相。15年政友会に入り、昭和2年田中義一内閣の内相として特高警察の拡充、治安維持法の強化を図り、昭和3年の3.15事件で共産党の弾圧を指揮した。また第1回普選では選挙干渉し、責任を問われて辞任。党内では義弟鳩山一郎の支持を得て中心に立ち、6年犬養内閣で法相から内相。7年衆院選に当選。同年の5.15事件後政友会総裁に選ばれたが、11年の総選挙に敗れ、14年総裁も辞任した。一方、右翼団体大日本国粋会の顧問・総裁を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「鈴木 喜三郎」の解説

鈴木 喜三郎 (すずき きさぶろう)

生年月日:1867年10月11日
大正時代;昭和時代の司法官僚;政治家。検事総長;法相;内相
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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