銭起(読み)せんき(英語表記)Qián Qǐ

精選版 日本国語大辞典 「銭起」の意味・読み・例文・類語

せん‐き【銭起】

中国、唐代の詩人。字(あざな)は仲文。浙江呉興の人。官は尚書考功郎中。大暦十才子一人五言律詩にすぐれ、郎士元とともに「銭郎」と並称される。著「銭考功集」など。(七一〇頃‐七八〇頃

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改訂新版 世界大百科事典 「銭起」の意味・わかりやすい解説

銭起 (せんき)
Qián Qǐ
生没年:722-780?

中国,中唐の詩人。字は仲文。呉興(浙江省)の人。天宝10年(751)の進士で官位は尚書考功郎中に至る。中唐前期を代表する〈大暦の十才子〉の中でも比較的すぐれた詩人で,王維とも親交があった。僚友郎士元とともに〈前に沈宋(しんそう)(沈佺期宋之問)あり,後に銭郎あり〉と称される。特に写景詩に佳句を残し,《唐詩選》には〈帰雁〉など5首が収められる。詩集として《銭考功集》10巻が伝わるが,孫の銭珝(せんく)の作品が混入すると言われる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「銭起」の意味・わかりやすい解説

銭起
せんき
(710?―780?)

中国、中唐期の詩人。字(あざな)は仲文(ちゅうぶん)、呉興(ごこう)県(浙江(せっこう)省)の人。生卒年をはじめ、その経歴には不明な点が多いが、天宝九載(750)ないしはその翌年に進士に及第、秘書省校書郎、藍田(らんでん)県(陝西(せんせい)省)の県尉(けんい)を歴任し、考功郎中にまで上った。詩人としての活動は盛唐期に始まるが、代宗の大暦(たいれき)年間(766~779)を中心に活躍した他の詩人とともに「大暦十才子」の1人に数えられる。彼は五言詩形を得意とし、七言詩に比べて数が多い。詩風は感傷に独自の味わいがあり、叙景の詩、送別・贈酬の作に秀作が少なくない。同じ十才子の1人である郎士元(ろうしげん)とともに銭郎と並称される。『銭考功集』10巻がある。

[佐藤 保]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「銭起」の意味・わかりやすい解説

銭起
せんき
Qian Qi

[生]開元10(722)
[没]建中1(780)?
中国,中唐の詩人。呉興 (浙江省) の人。字,仲文。天宝 10 (751) 年進士に及第。考功郎中についたことがあるので,銭考功とも呼ばれる。のち大暦年間には,太清宮使,翰林学士になった。王維を中心とするグループにも参加して,早くから活躍したが,盛唐から中唐への転換期にあたる大暦期を代表する詩人として,「大暦十才子」の筆頭にあげられる。郎士元とともに「銭郎」と並称され,やや骨格は細いが清新な詩風で,詩壇の主流をなした。詩集『銭考功集』。

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