鍵(器具)(読み)かぎ(英語表記)key

翻訳|key

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鍵(器具)」の意味・わかりやすい解説

鍵(器具)
かぎ
key

錠を開閉するための金属の器具。西洋、東洋ともに古くからあり、錠と組み合わせて戸締りや貴重品を入れる器物の密閉に用いられるほか、単独で財産や力の象徴として、あるいは装飾品として利用されてきた。

 鍵は、錠の機構の違いによって棒鍵とシリンダーキーcylinder keyとに分けられる。棒鍵は、レバータンブラーlever tumbler錠の開閉に用いるもので、シリンダーキーよりも大きい。棒鍵の突起部で、錠内部の数枚の跳ね板を移動させ、本締めボルトを出入りさせる。シリンダーキーは、シリンダーヘッドcylinder head錠、ピンタンブラーpin tumbler錠ともよばれるシリンダー錠を開閉するのに用いられる。シリンダー内に、ばねで押さえて並立させた数本のピンタンブラーの下端を、一直線にそろえるとプラグが回り、本締めボルトを出入りさせる。ピンタンブラーの長さや鍵穴に変化を与えることによって、シリンダー錠は無数の鍵違いをつくれるが、レバータンブラー錠に比べて鍵変化が生じやすい。

 このほか、鍵という体裁をとらないが、同等の働きをするものがある。その一つは組合せ錠における暗号である。ダイヤル錠や文字合せ錠などは、その暗号の組合せを知る人にしか開けられない金庫や鞄(かばん)などに用いられている。他の一つは、電気錠を解き放つカードや手形、暗号の照合による電気信号である。電子計算機室や銀行などの防犯上の管理の厳しいところでは、カードや暗号、手形、声紋などの特殊な感応装置を用いて、登録された人のみが開閉できる仕組みになっている。また、最近では、磁気カードをキーとして用いるホテルも増え始めている。このように錠を開閉する最良の鍵は、つねにその時代の最先端の技術であるといえる。

 また近年、建物の大型化、複雑化に伴い、管理・運営上のソフトウェア面からの、多数の鍵に対するキーシステムが必要になってきている。

[中村 仁]

鍵の文化史

西洋

エジプトでは、紀元前2000年ごろの寺院の壁画から、すでに大きな歯ブラシ型の木製の鍵を使っていたことが知られ、これが世界最古の鍵とされている。扉に開けてある穴に手を入れ、内側の錠に鍵を差し込み、突起でピンを持ち上げてかんぬきを外し、扉を開けた。古代の木製の鍵は大きくて、前8世紀の『旧約聖書』の「イザヤ書」(22章)に、「わたしはまたダビデの家のかぎを彼の肩に置く」とある。エジプトでは金属製の鍵も出土しており、L字型に折れ曲がった鍵がプトレマイオス朝期(前305~前30)のものと推定されている。先端部の突起が互い違いに突き出ているので、直線に突起が並ぶ鍵であける中世ヨーロッパの錠は、エジプト起源というよりギリシアに由来するのではないかともいわれる。ホメロスの『オデュッセイア』には、「象牙(ぞうげ)の束(つか)のついたみごとなつくりの青銅製のよく曲がっている鍵」という記述がその第21章に出てくる。ローマ人は錠と鍵の発達史のうえで重要な貢献をした。彼らが初めて錠の中にワード(鍵の固定障害片)を取り付けた。これは、19世紀にアメリカでシリンダー錠が発明されるまで長く欧米で使われた。鍵が小型化し、指輪のように指にはめるものもあった。南京錠(なんきんじょう)もこの時代に始まる。したがって中世以降の努力は、ローマ人が考え出したものの改善と芸術化に向けられた。なかには、14世紀末にイタリアに始まって17世紀初めまで使われた貞操帯のための特殊な鍵もあった。鍵は、時代の流れに沿って生活が多様化するほど、生命、財産、秘密保持のため、多種のものが使用されるようになったが、反面、ホテルや会社などではどの錠も開閉できるマスター・キーが必要になっている。

 ところで、古代神話には、アッシリアのニニブ神が地上と天国の鍵を持っていたように、よくこの世と死後の世界の鍵を握る神々が登場している。鍵は早くから支配権の象徴になった。ローマ教会を創立した使徒ペテロも天国の鍵を持ち(「マタイ伝」16章)、後を継ぐ教皇の権威と正統性も金と銀の鍵によって象徴されている。オーストリアではジルベスター(大みそか)が新年の扉を鍵であけるというが、この名は4世紀の教皇シルベステル1世からきている。このように鍵は民俗でも、閉ざされたものを開くものと考えられ、ドイツでは妊婦が鍵を持っていると気分が悪くならず、お産が軽いと考えられた。また揺り籠(かご)に鍵を入れておくと離乳が早くなり、妖魔(ようま)に乳児を不気味な子とすり替えられないですむといわれた。鍵は魔女・悪魔除(よ)けになった。人々は古くから鍵が不運から守ってくれると信じ、エトルリア人は鍵を御守(おまも)りとし、ギリシア人は雹(ひょう)・あられ除けに畑とか果樹園の周りに鍵を結んでおいた。また鍵には病気などの悪を封じ込める力があるとされ、イタリア、フランスなどヨーロッパ諸国には鍵が出血、けいれん、狂犬病などによいという俗信があった。鍵は鎮火のまじないにもなった。鍵ばかりか、鍵穴も、煙突や窓や戸とともに魔的存在や霊魂の通路とみなされ、ドイツでは寝室の鍵穴から夢魔が入り込むのを恐れた。ハンガリーでは出産時に鍵穴をふさいだ。デンマークでは昔、教会を3周してその鍵穴から悪魔をよんだという。鍵で、立ち聞きする者の耳を聞こえなくすることもできた。しかしどこかユーモラスな鍵の習俗もある。南ドイツでは教会で結婚式をあげた一行が披露宴の会場へ向かうとき、若者たちが「鍵競走」をした。花嫁の部屋をあける鍵を手に入れるという趣向で、いちばん早く着いた者が金箔(きんぱく)の木の鍵を得る。花婿が負けると、彼は相手から鍵を買わなければならない。

 このほか鍵は公式の場でも象徴的に使われ、中世城塞(じょうさい)都市は敵に降伏するとき市門の鍵を渡したが、いまは外国の賓客への歓迎のしるしに市の鍵が贈られる。フランス王太子妃になったマリ・アントアネットが1773年初めてパリ入りしたときも、市の鍵をもらっている。また現代のアメリカでも、子供に初めて自動車の鍵(スペア・キー)を与えることに感慨をもつ親が少なくない。すなわち、そのことが子供の一般的な行動の自由を認める象徴的行為として受け止められているからである。

[飯豊道男]

東洋

中国ではかなり古くから鍵が使われてきたらしく、周代や漢代の文献には「鍵(けん)」とか「鑰(やく)」などのことばがみえる。唐代ごろには、身の回りの調度品につけた鍵がしばしばみいだされる。中国の古い時代の錠前と鍵は、管の中にばねのついた棒をはめ込むと、そのばねが管の中に入って伸長するので抜けなくなり、一方、開けるときには、ばねをすぼめて出すための棒を用いる、という仕組みになっていた。日本では、奈良時代ごろから中国の影響で鍵が用いられるようになってきたが、初めはおもに調度品の鍵として使われていた。構造は簡単なL字型であった。江戸時代になると中国から南京錠が伝わって、広く用いられるようになった。

 ところで、東洋においても、鍵には実用的な側面ばかりでなく、力や権威のシンボルとしての側面や、御守りとして呪(じゅ)的な効力が期待される側面がある。権威のシンボルという観点からみると、伝統的な中国の主婦と鍵との関係が興味深い。中国の主婦は「帯鑰匙(やくし)的人」(鍵を身に着けている人)とよばれた。家の主人は寝室に金庫を保管し、金を入れるのであるが、主人の鍵を複製したものを主婦が持っている。主婦は自由に金庫をあけて生活費や食費を出して使う権利が認められていたのである。こうして鍵を持つ主婦は、日常の家事のいっさいを切り盛りしたのであり、伝統的に中国の主婦にとって鍵は家庭内での地位を象徴するものであった。さらに鍵は、ある時期になると姑(しゅうとめ)から嫁へと渡されるが、これは嫁が姑の跡を引き継いで家の仕事を任されたことを示す。姑はいつ嫁に鍵を渡してもかまわないことになっている。小説『紅楼夢(こうろうむ)』などにも、鍵が主婦の地位の象徴とされていたようすが描かれている。

 一方、御守りとしても錠や鍵が用いられていた。中国では長男にだけ銀の南京錠が与えられる。これは生命を長男に固くつなぎ止めることを意味するもので、錠は銀の鎖や輪で子供の首の周りに掛けられる。朝鮮でも錠のついた首輪を御守りにする。本物の錠に掛け金を通して、その横に鍵もつけたものを少女は身に着けるのであるが、この錠の上には、長寿や富が手に入り、望み事がかなえられるようにとの銘が刻まれており、その女性にとっては単なる錠以上の意味をもっているのである。

[清水 純]

『日本ロック研究会編『鍵と錠』(1968・井上書房)』『S・ギーディオン著、栄久庵祥二訳『機械化の文化史』(1977・鹿島出版会)』『赤松征夫『錠と鍵の世界』(1995・彰国社)』


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