鎌田勝太郎(読み)かまた・かつたろう

朝日日本歴史人物事典 「鎌田勝太郎」の解説

鎌田勝太郎

没年:昭和17.3.28(1942)
生年:元治1.1.22(1864.2.29)
明治期,讃岐(香川県)坂出塩業の父といわれた実業家。慶安年間(1648~52)以来の醤油屋鎌田の長男として生まれる。諱は正康,晩年淡翁と号した。明治11(1878)年に上京して福沢諭吉師事。16年,沈滞した坂出大浜を合わせて塩産会社を設立,弱冠20歳で推されて社長となった。以来塩業の振興に努め,23年隣村宇多津の塩田を会社にまとめ,その社長も兼任した。27年衆院議員,30年以降貴族院の議員となり,中央政界の塩業調査会委員に任命され,また政府,業界の全塩業関係者を統合しての大日本塩業協会設立に参画した。塩業のほかに多くの事業,会社に関与し,また朝鮮で農業開発事業なども行った。晩年は郷土育英,社会事業に尽くした。<参考文献>鎌田記念館編『淡翁 鎌田勝太郎伝』

(村上正祥)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鎌田勝太郎」の解説

鎌田勝太郎 かまだ-かつたろう

1864-1942 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
文久4年1月22日生まれ。塩産会社などを設立して,坂出(さかいで)塩業の振興につとめる。明治27年衆議院議員,30年貴族院議員。大日本塩業協会設立に参画。鎌田共済会をつくり,育英や社会事業につくした。昭和17年3月28日死去。79歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。名は正康。号は淡翁。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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