長尾景忠(読み)ながお・かげただ

朝日日本歴史人物事典 「長尾景忠」の解説

長尾景忠

生年生没年不詳
南北朝時代の武将越後(新潟県)・上野(群馬県)守護代。関東長尾氏の祖。景為の子。左衛門尉。上杉憲顕重臣として活動し,憲顕が越後守護になると同国の守護代になり,共に越後に赴いて南朝方鎮圧に当たった。康永2/興国4(1343)年に憲顕が鎌倉に帰ったあとも,越後に残って国内の経営に努める。観応の擾乱で憲顕が足利直義に属して没落すると景忠も雌伏するが,憲顕が康安1/正平16(1361)年に復権すると景忠は上野守護代となった。一貫して憲顕の腹心として活躍し,長尾氏発展の基礎を築いた。子孫白井,総社,足利の諸家に分かれて繁栄,越後守護代の長尾家は景忠の弟の流れである。

(山田邦明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長尾景忠」の解説

長尾景忠 ながお-かげただ

?-? 南北朝時代の武将。
上杉憲顕(のりあき)の家臣。越後(えちご)(新潟県)の守護代となり南朝方を鎮圧し,領国経営を強化した。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で失脚したが,康安元=正平(しょうへい)16年(1361)憲顕の復権とともに上野(こうずけ)(群馬県)の守護代。関東長尾氏の祖とされる。通称四郎。法名は教阿。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長尾景忠の言及

【長尾氏】より

…中世の武家。桓武天皇の流れをくむ坂東八平氏の一つといわれ,相模国鎌倉郡長尾郷を名字の地とし,南北朝時代から戦国時代にかけて関東,越後で活躍した。高望王(たかもちおう)の子良文の系統で,その子孫忠通の子鎌倉権五郎景政の孫景行が長尾氏を称したのにはじまる。平安時代末期以来大庭氏らと鎌倉党を結成し,源頼朝挙兵の際には平家方に属した。鎌倉時代初期の景茂のころには三浦氏に属していたため,宝治合戦に連座して名字の地を没収された。…

※「長尾景忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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