長島町(読み)ながしまちよう

日本歴史地名大系 「長島町」の解説

長島町
ながしまちよう

面積:四五・〇三平方キロ

長島のほぼ西半を占める。東はあずま町に接し、西は長島海峡を隔てて熊本県牛深市・天草あまくさ河浦かわうら町などと対する。長島の中央、東町との境界近くは行人ぎようにん岳から続く山地春木岡はるきがおかなどの丘陵地で、一帯水源とする小浜おばま川・指江さすえ川・城川内じようがわち川・汐見しおみ川などが流れている。町の北部は浦底うらそこ茅屋ぼや浜漉はますき蔵之元くらのもとなどの浦々が深く入り込んでリアス海岸を形成、集落は小浜川流域の内陸部に開けた平尾ひらおなど一部を除けば海岸部の入江・湾奥に発達している。西部の蔵之元港は南九州と西九州を結ぶ中継地の一つで、牛深市との間には大型フェリーが就航、当町の西の玄関口となっている。

長島は古墳の島として知られるが、とくに当町の海岸部、島の西海岸に集中してみられる。

長島町
ながしまちよう

面積:三三・〇四平方キロ

木曾川・長良ながら川、揖斐いび(伊尾川)のいわゆる木曾三川の下流に形成されたデルタ地帯の多くの島がまとまったもので、七島が転じて長島になったという。また中世には河内長島かわうちながしまとも称した(信長公記)。東は木曾川を隔てて木曾岬きそざき村および愛知県海部あま郡に対し、北は狭長な陸続きで愛知県海部郡・岐阜県海津かいづ郡と接し、西は長良川・揖斐川を隔てて多度たど町・桑名市に対する。

長島町
ながしまちよう

[現在地名]日野村井むらい 長島町

呉服ごふく町の南に続き、日野村井町の西端に位置する。城下町割ではみなみ町通九ヵ町の一、南新みなみしん町にあたる。正徳五年(一七一五)の三町絵図では鍛冶かじ町とみえ、南町通に南面して願証がんしよう(現真宗大谷派)が描かれる。同寺は伊勢長島一向一揆の拠点であった長島願証寺(跡地は現三重県桑名郡長島町)の顕忍が当地に落延び天正一一年(一五八三)に開基した寺院で(「由緒書」願証寺蔵)、当町も享保年間(一七一六―三六)同寺にちなみ町名を長島町と改めた(蒲生旧趾考)。古く鍛冶町と称したことから、かつては職人町であったと思われる。寛保三年(一七四三)には合薬屋が三軒。安政四年(一八五七)の木地屋一(蛭谷氏子狩帳)

長島町
ながしまちよう

[現在地名]中区丸の内まるのうち二丁目

片端かたはから横三よこみくら(現三蔵通)までの南北道路長島町筋の北端にあり、南は島田しまだ町に接する。きよう町筋とすぎの町筋との間の二丁をさす。慶長年中(一五九六―一六一五)清須きよすの長島町を移した。清須には長島町の跡が残っているという。

長島町
ながしまちよう

2006年3月20日:出水郡東町・長島町が合併
【東町】鹿児島県:出水郡
【長島町】鹿児島県:出水郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長島町」の意味・わかりやすい解説

長島〔町〕
ながしま

鹿児島県北西部,長島獅子島伊唐島,諸裏島 (しょうらじま) およびその属島からなる町。 1960年町制。 2006年町と合体。江戸時代には薩摩藩に属した。農業,水産業が主で,サツマイモ,ミカン,エンドウの栽培,肉牛飼育,養豚などが行なわれる。水産業は沿岸漁業やブリ,ノリの養殖,ウニの加工が中心。北部の多島海は雲仙天草国立公園に属する。 1974年黒之瀬戸大橋が完成,本土と陸続きとなり,熊本県天草を結ぶ観光ルートとなっている。国道 389号線が通る。面積 116.19km2。人口 9705(2020)。

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世界大百科事典(旧版)内の長島町の言及

【紀伊長島[町]】より

…三重県南部,北牟婁(きたむろ)郡の町。1970年長島町を現名に改称。人口1万1670(1995)。…

※「長島町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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