長谷川昭道(読み)はせがわあきみち

改訂新版 世界大百科事典 「長谷川昭道」の意味・わかりやすい解説

長谷川昭道 (はせがわあきみち)
生没年:1815-97(文化12-明治30)

幕末信濃松代藩士通称深美。戸隠舎,一峯と号する。佐藤一斎に学び,佐久間象山ライバルとなる。勝手元締役として財政面に活躍,藩校創設にも尽力したが1853年(嘉永6)蟄居(ちつきよ)を命ぜられる。11年後許されて京都留守居役となり,尊王派の立場で国事に奔走した。69年(明治2)太政官権大史となったが翌年官を辞して帰郷し,著述に従った。《長谷川昭道全集》がある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川昭道」の解説

長谷川昭道 はせがわ-あきみち

1816*-1897 江戸時代後期の武士
文化12年12月29日生まれ。信濃(しなの)(長野県)松代(まつしろ)藩士。江戸で佐藤一斎にまなぶ。郡奉行兼勝手元締役,側役などをつとめ,藩校文武学校創設にもつくす。尊王攘夷(じょうい)の立場から佐久間象山と対立。のち京都留守居役となる。明治30年1月30日死去。83歳。通称は深美(しんび)。号は戸隠舎,一峰など。著作に「皇道述義」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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