世界大百科事典(旧版)内の長野賢忠の言及
【厩橋】より
…利根川は厩橋の北東を流れていたが,鎌倉末あるいは応永期(1394‐1428)に現在の流路となった。戦国時代に箕輪城主長野氏の支族長野賢忠(厩橋賢忠,宮内大夫・藤九郎)が城を構え,周辺の大胡氏,引田氏らを旗下にして厩橋衆を形成していた。賢忠は1560年(永禄3)以降,関東に侵攻した上杉謙信に不慮の事故から謀叛の嫌疑をかけられ誅殺された。…
※「長野賢忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」