門戸開放政策(読み)モンコカイホウセイサク(英語表記)Open Door policy

デジタル大辞泉 「門戸開放政策」の意味・読み・例文・類語

もんこかいほう‐せいさく〔モンコカイハウ‐〕【門戸開放政策】

1899年、米国の国務長官ヘイによって提唱された外交政策中国領土保全門戸開放、商業上の機会均等を主張したもので、遅れて登場した米国が列強の帝国主義競争への割り込みを意図したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「門戸開放政策」の意味・読み・例文・類語

もんこかいほう‐せいさく モンコカイハウ‥【門戸開放政策】

〘名〙 一九世紀末から二〇世紀初頭のアメリカ合衆国の外交政策。ヘイ国務長官が一八九九年と一九〇〇年の二度通牒で表明した中国に関する政策理念をさす。中国における門戸開放、通商の機会均等、領土および行政保全が主張されているが、実質的には中国に対する帝国主義的収奪へのアメリカの参加宣言を意味した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「門戸開放政策」の解説

門戸開放政策(もんこかいほうせいさく)
Open Door Policy

アメリカのヘイ国務長官が1899年と1900年の2度の通牒で表明した中国に関する政策の原則。他の列強より中国進出が遅れたアメリカは,中国における通商活動(のちに投資も含む)の障害を防ぐために,第1次通牒で列強の勢力圏の門戸開放と機会均等を主張した。ついで義和団事件契機に列強が中国に出兵すると,第2次通牒で機会均等の適用範囲を全中国に拡大するとともに,中国の領土・行政の保全の原則をつけ加えた。列強がこれらの通牒に反対を表明しなかったことから,アメリカはその原則が受け入れられたものと主張,のちにそれは1922年ワシントン会議九カ国条約で正式に多国間条約に組み込まれた。だが門戸開放政策は,特に満洲における特殊権益を主張する日本と対立する要素を含み,両国の関係悪化の一因となった。また門戸開放は,従来の植民地主義反対の理念を掲げながら勢力圏の拡大を図るアメリカの立場をよく示しているため,アメリカの中国だけでなく一般的な海外膨張政策を意味する用語ともなっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「門戸開放政策」の意味・わかりやすい解説

門戸開放政策
もんこかいほうせいさく
Open Door policy

19世紀末,中国市場の獲得を目指してアメリカが打出した対中国政策。 1898年アメリカがフィリピンを領有し中国進出をはかろうとしたときには,すでに列強の独占的な権益が確定していたため,アメリカの入る余地はなかった。 99年 J.ヘー国務長官はこれら列強の独占体制を打破し,中国進出をはかろうと,列国勢力範囲内における関税平等などを求める覚え書をフランス,イタリア,ドイツ,イギリス,日本,ロシアに送り,各国とも原則的にはこれを了承。さらに 1900年の義和団事変に際しては,中国全土における各国の通商の機会均等,中国の領土および行政の保全を強調する覚え書を再度各国に送付。このようなアメリカの政策は,のちに日本の中国大陸進出の意図と対立を生じ,太平洋戦争の一因となった。

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