門田博光(読み)カドタヒロミツ

デジタル大辞泉 「門田博光」の意味・読み・例文・類語

かどた‐ひろみつ【門田博光】

[1948~2023]プロ野球選手。山口の生まれ。昭和45年(1970)南海福岡ソフトバンク前身)に入団。アキレスけん断裂という大けがを乗り越え、打撃活躍。昭和63年(1988)には40歳で本塁打王と打点王の二冠を獲得した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「門田博光」の意味・わかりやすい解説

門田博光
かどたひろみつ
(1948―2023)

プロ野球選手(外野手:左投左打)。2月26日、奈良県生まれ。天理高からクラレ岡山を経て、ドラフト2位で1970年(昭和45)に南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)に入団した。1971年、レギュラーに抜擢(ばってき)されると120打点で打点王に輝いたが、その後はホームランを意識しすぎたため、シーズンによって好不調の波が大きかった。1979年には春のキャンプでアキレス腱(けん)を断裂、そのシーズンのほとんどを棒に振ってリハビリに励み、これを境に指名打者DH)として復活、リーグ屈指の強打者へと生まれ変わった。翌1980年に41本塁打を放つと、1981年は44本で本塁打王を獲得、1983年も40本で2回目の本塁打王となった。1988年には44本塁打、125打点で二冠王に輝き、最優秀選手MVP)に選ばれた。当時すでに40歳となっており、翌1989年(平成1)から福岡ダイエーホークスとなることが決まっていた南海最後の年に花を添えると同時に、中高年に希望を与える存在として脚光を浴びた。1989年からオリックス・ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)、福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)と移って44歳の1992年までプレーし、最後までフルスイングの打撃を貫いた。

[出村義和 2016年9月16日]

 23年間の通算成績は、出場試合2571、安打2566、打率2割8分9厘、本塁打567、打点1678。獲得したおもなタイトルは、本塁打王3回、打点王2回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン7回。2006年(平成18)に野球殿堂野球殿堂博物館)入り。

[編集部 2016年9月16日]

『門田博光著『不惑の挑戦』(1988・海越出版社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「門田博光」の解説

門田博光 かどた-ひろみつ

1948- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手。
昭和23年2月26日生まれ。クラレ岡山をへて,昭和45年南海に入団。アキレス腱切断を克服し,外野手,指名打者として活躍。63年40歳で本塁打王となり,「中年の星」とよばれた。のちオリックス,ダイエーとうつる。実働23年,本塁打王3回,打点王2回,通算2566安打,2割8分9厘,567本塁打。奈良県出身。平成18年野球殿堂入り。天理高卒。

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